【第398回】 相手と場所に応じる受け身

年を取ってくると、どうもますます横着になってくるようだ。特に、受け身がそうである。人は少しでも楽(らく)をしようと、科学や経済を発達させてきた。この楽志向が合気道にまで及びつつあるようでは、反省しなければならないだろう。

合気道を稽古するということは、一時的ではあるが、この楽志向にストップをかけたり、逆行しなければならない訳である。暑くても汗をかき、息をゼーゼーさせながら投げたり、転んだりするのである。楽志向にある他人が見たら、ご苦労なことをやっていると見えるだろう。

合気道を少しでも上達させたいならば、自分の楽しようとする気持ちと戦い続けなければならないことになる。特に、受け身はそうである。

楽(らく)受け身としては、いろいろな例が挙げられるだろう。ひとつ目は、受けを取らないことであるが、これは最も駄目な場合であろう。二つ目は、関節のきめなど、受け身を最後までとらないこと。三つ目は、受けに気持ち、意志が入っていないこと。四つ目は、相手や場所(スペース)に関係なく、いつも同じ受け身をとること、等などである。

一つ目は問題外だから、説明もいらないだろう。二つ目は、相手を信用して、息に合わせ、どこまで我慢してやるか、である。

三つ目は、楽志向を改めて、意志を入れてやらなければならない。受け身に、意志を入れるのである。

通常の稽古では、どうしてもやりやすい相手と稽古しがちになる。そういう相手では、相手の投げる勢いで、受けを取るだけになってしまう。すると、ただ物理的にころがるという受け身になってしまうものである。

受け身とは、相手の攻撃をかわし、反撃をするということであるから、少しでも早く起き上がって、投げた相手に向かう態勢をとらなければならないものである。そのためには、体に気力を満たし、腰に意識を入れて反転し、すばやく立ちあがって相手に向かわなければならないだろう。相当、意志と気力と体をつかわなければできないことである。

四つ目は、相手により、また、技をかけ、受け身を取り合うスペースに合わせて、受け身をとることである。先輩や同僚が相手なら、相手に合わせて受けを取れば、それでお互いハッピーだろうが、相手が女性や高齢者であったりする場合に、いつもの相手と同じような受け身を取るのでは、自分の稽古にもならないし、相手も満足しないだろう。

力のない高齢者や女子や初心者などの場合にも同じような受けを取るのでは、力のない相手がじゅうぶん投げられなかったり、息切れしたり、また、こちらも投げた気がしなかったりで、稽古に不満足感が残ることになりがちである。

力のない者が相手の場合の受け身は、受けを大きく取ってやる、高齢者の受け身は軽く取る、稽古スペースが広くある場合は、大きく遠くまで飛ぶ受け身を取り、混んでいる場合は小さな受け身や上下縦の受け身を取る、等の工夫をするべきである。

このような、相手や場所に応じた受け身は、ふだんの稽古で意識してやるべきだろう。もしそれが難しければ、自主稽古でやるのがよい。以前は、稽古が終わった後に、先輩や仲間に投げてもらって受け身の稽古をしたり、毎日30回、50回などと決めて、自分でころがって受け身の稽古をしたものだ。

それがある程度できてくると、今度は先輩に、畳一畳の中での受け身をやれといわれた。そして、そのやり方を示してくれたのである。畳一畳の中で受け身を取れるようになると、小さな受け身はもちろんのこと、大きい受け身も取れるようになり、また板の間でも取れるようになったのである。

今できるかどうかはわからないが、横着を戒めるために、もう一度、畳一畳の中での受け身の稽古をしてみようと思っている。