【第39回】 信念、覚悟、我慢、希望

人は概してものごとが変わることを好まない傾向にある。自分の周りや関係するものが変らず、そのまま同じように継続してくれるように、知らず知らずに期待している。それに、人は自分の生き方ややり方をなかなか変えられないものだ。

合気道の稽古をしても、おおかたは始めた頃や若い時からのやり方を継続しているものである。若い時や始めた頃は、まず身体をつくるためにパワーの稽古をするものだが、この稽古は人間の本能に従ってやればいいのでやり易く、誰にでもできる。問題はこのやり方がずーっと継続してしまうことである。

しかし、合気道には、体力の他に、呼吸力、合気力、気力、魂力などが必要なので、このパワーの稽古、体力つくりの稽古だけでは先に進めなくなる。

例えば、諸手捕り呼吸法でも、始めのうちは腕に力を込めて、相手を弾き飛ばすような稽古をしても、合気道は相手と結ぶ引力の養成とも言われるように、相手をくっ付ける稽古をしなければならなくなる。そのためには、今までの腕の力ではない肩を貫いた力を養成しなければならない。

ところが、これまで鍛えてきた腕の力に頼っているので、これまでのパワーを使わないでやることは実に難しい。その上、肩を貫くのには覚悟がいる。相手に手をとられて、技を掛けられたとき、これまでのような腕の力(力み)を抜いて肩を貫くと、本当に肩がもぎ取られるのではないかという不安に駆られる。それでもこれをやり遂げることができるのは、その必要性への信念、不安を我慢すること、万が一肩が抜けてもしようがないという覚悟、そして、これができれば次へ進めるだろうという希望があればこそである。

質の異なるもの、次元の違うものを得ようとすれば、これまでの延長上から離れ、新たな道(やり方)を取らなければならない。そのためには「信念、覚悟、我慢、希望」が必要である。