【第373回】 同質と異質の稽古

合気道は武道であり、終わりのない稽古をし続けなければならない。

まず、合気道の稽古ではなぜこれでよいという終わりがないのか、を考えてみると、

等などであろう。

では、終りがない稽古で、具体的に何を稽古するのかを考えてみよう。なぜならば、やるべきこと、やるのにふさわしいことをやらなければ、稽古は長続きせず、早々の引退ということになってしまうだろうからである。

終わりがない稽古としてやるべきことには、2つあると考える。一つは、やっていることを最後までやり続けることである。これを同質の稽古と名付ける。例えば、「呼吸法」で呼吸力を養成することである。

「呼吸法」は、初心者から上級者まで、合気道の稽古を続ける限りやらなければならないことであると考える。
  1. 初心者の内は腕力で相手を倒しながら、腕力や体力をつけていき
  2. それが段々と腰腹からの力でやるように変わってくる
  3. この後は、手を十字に使うようになったり
  4. 呼吸も十字に使う、というように変わってくる
これをグラフの線で表わせば、「呼吸法」という線になるだろう。

この「呼吸法」の同質の稽古は、グラフの線上に終わることなく、どんどん続いていく。同質の稽古は永遠に続くのである。

もう一つの終わりのない稽古は、同質の稽古に対して「異質の稽古」としよう。前の例の「呼吸法」で説明する。

「呼吸法」の稽古を続けていくと、腕力から腰腹の力に変わっていき、すなわち力が質的に変わることになる。この腰腹からの力の有効性に気づくこと、それを確認すること、そして腰腹の力で他の技も使えるようにすることが、異質の稽古ということになるだろう。その後の手を十字に使うのも、もう一つの異質の稽古ということになるし、息も十字に使うのも異質の稽古である。

異質の稽古で見つけたものや得たものを、同質の稽古に取り入れ、同質の稽古で続けていくのである。

木に例えれば、同質の稽古は木の幹、異質の稽古は木の枝や葉ということになるだろう。枝葉が伸びるうちは木も幹も元気だが、枝葉がなければ枯れるしかない。合気道の稽古では、壁にぶち当たり、身動きがとれず、引退ということになる。

異質の稽古をまとめると、宇宙の営み、宇宙の条理、宇宙の法則を技に見つけ、それを身につけていくことといえるだろう。従って、異質の稽古もいくらでもできることになる。合気道での上手下手は、どれだけたくさんの法則を技に取り入れ、身につけているかということになる。

異質の稽古は、宇宙の法則を永遠に探すことだから、終わりのない稽古になる。同質の稽古も永遠に続いて終わりがないから、合気道の稽古には終わりがないのである。