【第365回】 ぶつかり・争わないために
合気道は相対で技をかけ合いながら、技を練磨し精進していく。だが、時として受けとぶつかったり、それが高じて争いになったりする体験もしていることだろう。技をかけてぶつかったり争いになることは避けたいものであり、そうならないよう稽古しているものと思われる。
しかし、一生懸命に稽古すればするほど、特に若いうちは相手とぶつかったり、時として争いになるのは、不思議ではないし当然であろうと思う。若いうちは技などないので、どうしても力とスピードの稽古になるから、ぶつからないのはおかしいくらいだ。
自分の若いころも、気の体当たり、体の体当たりをモットーにしていたから、ぶつかり合うのは当然だったし、3日にあげず頭に血が上って、「表に出ろ」というところまで行くような稽古をしていた。しかし、不思議なことに、表に出ることはなかったし、その後はその強敵とかえって仲良くなり、お互い尊敬し合い、長くつき合うようになったものである。
若いうちに相手とぶつかるのを避けたり、争いを嫌がって、ナアナアの稽古をしていれば、先へ進むのは難しくなるのではないかと思う。
しかし、年を取ってきたら、若い時のようにはできないし、やるべきではない。合気道の思想・哲学に則った稽古をしなければならない。弾き飛ばすのではなく、結びと一体化への稽古である。
それともう一つ、頻繁に体験するぶつかりや争いの原因を追究し、その解決法を見つけ、そして身につけて行く稽古をすべきであると考える。
技をかけてぶつかるのには、原因がある。一言でいってしまえば、それは魄の稽古ということになるだろう。それをまた換言すると、「力み」でやることである。「力み」とは、心体がうまく働かないために、部分的な力に頼ってつかう力ということだろう。
誰でも「力み」は悪いと思って避けようとするが、なかなか「力み」を取るのは難しいものである。なぜならば、「力む」のにはいろいろな原因があるわけであり、しかもそれに気づき難いからである。
「力む」原因は、体づかいと技づかいで、逆につかっていることであると考える。また、やるべきことをやらず、また、やっていることが宇宙の法則と違っていることにもあるだろう。
一般的によく見かける逆づかいの例と法則違反の例を、思いつくまま挙げてみよう。
- 息づかい:息を吐くところを吸い、吸うところを吐いている。つまり、息の出し入れが逆になっているのである。息を入れるべきところを出すのでは、相手を弾いてしまい、ぶつかることになる。
- 足づかい:足は、右、左と交互に規則的に動かなければならない。右足に右足の重心をかけるべきところを左足にかければ、ぶつかることになる。典型的なのは、一教裏と入身投げの最後の足である。特に足が止まった状態で技を使えば、手さばきだけになって、必ずぶつかるものである。
- 手づかい:手もおなじように、右、左と交互に規則的に動かなければ、ぶつかることになる。さらに、手と足は右左と同調して動かなければ、相手とぶつかってしまう。
- 手の十字:手は、十字で使わないとぶつかる。典型的な例は、諸手取りである。こちらの一本の腕を相手は諸手で抑えるのだから、そのまま直線的につかえば、ぶつかって争いになる。まずは、立てた手を横に反さなければならない。
- 縦と横:十字で円の動きになるが、まずは縦、そして横に動かさなければ、ぶつかるはずである。また、縦の回旋運動が先で、横の回転運動はその後にならなければ、うまくいかない。上記の諸手取りでやってみればわかるだろう。イザナギとイザナミが国づくりのために、イザナミ(横の神が先に声を発したのでヒルコができてしまったことがそれを物語っているだろう。
- 円:合気道の技は、円の動きのめぐり合わせであるが、自分の円ではなくて、相手の円内でやってしまうと、ぶつかってしまうことになる。これは、例えば四方投げ、坐技呼吸法などでよく見られる。
- 末端から動かさない:片手取りなどで手首をつかませた場合、つかませている手首から動かすと、ぶつかって争いになる。手先の末端からではなく、手先と結んでいる腰腹から先につかうようにしなければならない。
- 接点を動かさない:相手との接点を動かそうとすると、相手とぶつかったり、接点を切ってしまうことになり、相手が反発してくる。例えば、正面打ち入身投げでは、接点は、手首、首(後ろ)、手首、首(後ろ)、首(前)、首(後ろ)と変わるが、そこに振れた瞬間に動かさないで、接点が次に変わったときに動かさなければならない。
- 魄が魂の下に:前述のように、若いうちはパワー(魄力)が先行するので、相手も若ければ、当然ぶつかり合うことになる。ぶつかり合いを避けるためには、己の魄(魄力)を己の魂(気持ち、心)で抑え、心(魂)で自分の心体をつかい、そして相手を導くようにすればよい。
- 相手は敵ではない:稽古の相手を倒すべき敵であると考えていると、ぶつかったり、争いになる。相手はこちらの上達を手伝ってくれる協力者であり、仲間なのである。感謝をすると共に、愛でやることである。
- 言葉:言葉は魄であるから、言葉を発すると、時により相手によっては争いになる。言葉を発したいだろうが、言葉を発してからでは遅いともいわれるので、魄ではない別の言葉、愛のある魂の言葉で導かなければならないだろう。
逆づかいの例と法則違反の例は、これ以外にも無限にあるだろうが、今回はここまでとする。最後に、逆づかいにならず、そして法則違反にならないようにするには、どうすればよいか考えてみよう。
逆づかいにならない、法則違反にならないように技をつかっていくということは、簡単にいえば、自然に動くということである。だから、自然から学ぶのがよいということになる。開祖も「万有万神の真象を武に還元することが必要である。例えば、谷川の渓流を見て、千変万化の体の変化を悟るのである」(「合気真髄」)といわれている。
稽古で身につけていくだけではなく、自然から学ぶことも必要だろう。
Sasaki Aikido Institute © 2006-
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