【第335回】 禊(みそぎ)がないとものは生まれない

137億年前に宇宙ができてから、地球ができ、その上に人類が出現して、今では50億人以上が住んでいる。はじめの人類は動物とさほど違わないような生活をしていたが、次第に動物とは全然違う生活をするようになった。その違いをつくったのは、人類に少しでも豊かになろうとする向上心があったことだろう。

そのため、人類は火をおこしてつかったり、武器や道具をつくり、そして商品をつくるようになった。まだまだ十分には食べていけない国、もののない国もあるが、先進国ではものが不足してないどころか、ありあまって、それをいかに買ってもらうかに頭を痛める時代になっている。

開祖も言われているように、今はものが優先する物質科学、物質文明社会である。ものをよりたくさん持ち、人よりよいものを持ちたいと思い、人の評価も自分自身の評価も、ものを基準にしている社会といえるだろう。

しかし、この物質科学、物質文明がこのままどんどん進めば、人類の行先は壁にぶつかるだろう。そろそろこの事に、人類は気付かなければならないと思う。

かつてものが余り、それを処分するために戦争をした帝国主義時代を思い返せばよいが、ものをたくさん持つ富裕層ができれば、必ずものが持てない貧困層ができる。富裕層は満足するだろうが、貧困層は黙ってはいないはずである。それは、歴史が示しているし、すでにテレビや新聞を賑わしているとおりである。

では、物質科学、物質文明を何に変えていくべきなのか。それは、目には見えない心、精神が主体になる文明、社会である。これまで培った物質科学、物質文明の上に、心や気持の精神を優先する文明と社会を築いていくのである。開祖はそれを、魂が魄の上にならなければならないと言われている。

だが、どうすれば精神(魂)がもの(魄)の上にきて、魂が魄をリードすることができるかであるが、合気道では、そのために禊(みそぎ)をしなければならないと教えられている。しかし、通常の忙しい生活で禊をしていくのは容易ではないし、普通の人にはほとんど不可能なことに思える。

魂が魄の上にくるように禊をするための最適な方法は、合気道を修行することだと信じる。合気道は禊である、といわれるように、それまでため込んだものを、ひとつひとつ禊ぎ払ってくれるのである。

合気道の稽古をしていくと、まず、肉体が禊がれる。つまり身削がれるのである。動いて汗をかくので肌が禊がれ、深く激しい呼吸により血液が禊がれ、そして、筋肉や関節のカスが取れて禊がれる。

次に、技の練磨をしていくと、心体が宇宙の条理に従うべく動くようになってくる。合気道の技は宇宙の営みを形にしたものであるので、技を身につけていくことによって、宇宙と一体化していくことになる。

心体が宇宙と一体化への道を辿るようになると、それまで相手を意識し、力に頼っていたものが、自分との戦い、精神的な戦いに変わってくる。相手をやっつけようとするのではなく、つまり稽古相手を戦う相手としてではなく、自分の稽古のサポーター、ありがたいお相手と見るようになるのである。

そうなると、相手に怪我をさせたり、痛い思いをさせたりしなくなり、相手を思いやって、相手のためになるような稽古をするようになる。つまり、愛の稽古ということになる。これで、精神の禊がひとつ進んだことになるだろう。

合気道の修行における禊に、終わりはないから、ますます禊いでいかなければならない。禊とは、武とも言えよう。宇宙天国建設への生成化育のために、邪魔ものを除き、新陳代謝を促進するのである。合気道で禊いで、それを社会、地球、宇宙へと拡大していけばよいのである。

社会が禊げば、これまでと違うものが生まれるはずである。それは、人の心を満たすもの、人が真に必要とするものであろう。ものをつくる人は、使ってくれる人が本当に喜んでくれるように、相手の立場に立って、愛でつくることになろう。

禊がなければ、合気道も上達しないし、社会も変わらない。新しいもの、つまり質の違うものが、生まれて来ないからである。

合気道で、技稽古ではなく形稽古でやっていれば、腕力に頼るしかないため、ますます心体は凝り固まっていく。新しいものは生まれない。禊が必要である。