合気道の稽古を長年やっていると、多くの人が稽古に行き詰りを感じてくるようで、それで辞めていく人もいるようだ。その大きい原因のひとつに、合気道は先生から教わるものと思って、稽古に通っていることがあると考える。
学校での学びと同じことで、物事は教える先生がいて、それを学ぶ生徒がいる。先生が教えたことを覚えるのがよい生徒で、先生が教えたことを少しでも多く覚えている生徒が出来のいい生徒、ということになっている。
合気道でも形稽古を通して上達していくので、はじめは型または形(一般的には技と言われる)を覚えなければならないから、先生の教えに従って覚えていかなければならない。しかし、型をある程度覚えると、その後どのように稽古をしていけばよいのか分からなくなるのである。
先生は、型までは指導できるが、それ以上のことを指導することは難しいはずだ。ましてや、ひとりの先生が、それぞれ異なっている大勢の生徒を一度に教える現代の稽古法では、限界がある。また、昔のような師弟の一対一の稽古でも、あるものが欠けていれば上達はないだろう。それは生徒の側の自発性であり、自得である。
稽古は、自得していくものである。自分で自発的に自得していく姿勢で、稽古をしていかなければ、前進はないのである。かつて本部道場で教えられていた有川定輝師範は、