【第327回】 帰納法と演繹法での稽古

習いごとは、ただ時間をかけて長くやっていればよいとか、うまくなるというものではない。長くやらなければモノにならないが、それは必要条件で、十分条件ではない。うまくなるための十分条件とか絶対条件などはないようだが、うまくなるためには多くの必要条件があるようだ。

合気道は技の練磨を通して上達していくものだが、これが容易なことではない。これが技であるという明瞭な形はないし、決まった動きもないからである。 だから、技を他人に教えるのは難しい。それ故、いかによい技を使えるようにするかは、基本的には自分で考え、試し、反省し、改善していかなければならないことになる。

しかし、有難いことに、合気道創始者である植芝盛平翁が理想的な技をつくられ、合気道の理論を大成されている。我々が目指すべき目標は、すでにあるわけである。問題はただ、我々凡人の稽古人と開祖との距離がありすぎて、どのようにすればあのようになれるのか、分からないのである。

そこで、どうすれば開祖の技に少しでも近づき、開祖が言われていることが分かるようになるか、考えていかなければならないだろう。

そのアプローチの方法の一つとして、昔、学校で教わっている「帰納法」と「演繹法」が大いに役立つように思うので、今回は合気道上達のために、この「帰納法」と「演繹法」を活用した稽古法を研究してみたいと思う。

まず、「帰納」と「演繹」をおさらいしてみると、

帰納とは、個別・特殊的事実の多さから結論がどのくらい確からしいものかを導くための推理で、「法則に関連する観察が増えれば増えるほど、その法則の確からしさは増大する」といわれる。帰納は新しい分野を開発し、新しい理論を模索する場では、先ず仮説を立てるための方法として、極めて重要である。

演繹は、一般的・普遍的な前提から、より個別的・特殊的な結論を得る推論方法である。一般化した演繹の代表例としては、二つの前提から結論を導き出す三段論法がある。演繹においては、前提が真であれば、結論も真となる。

帰納法と演繹法を説明するのに有名なものとして「ソクラテスの例」がある。

<帰納法>
ソクラテスは、死んだ。
プラトンも死んだ。
彼らは共に人間だ。
だから、人間は全員いつか死ぬ。

<演繹法>
全ての人間は、いつか死ぬ。
ソクラテスは人間だ。
だから、ソクラテスはいつか死ぬ。

語義的には、「帰納」は「戻してしまう」、「演繹」は「広げて引き出す」ということらしい。しかし、ここで大事なのは、この帰納法と演繹法を合気道の稽古にどう使うかということである。それを考えてみたい。

技をうまくかけるためには、いろいろな条件がある。やってはいけないことや、そうしなければならないことなどである。例えば、腕を折らない、手先と腰腹を結んだら結びを切らない、末端の手足から動かさないで腰腹から動かす、十字に使う、円の動きの巡りあわせで技を使う、陰陽でつかう等などである。

以上が、技がうまくかかるための法則であるということにすると、技をうまくかけるためには、少しでも多くの法則を見つけ、その法則に則って技をかけなければならないという結論を得る。これが「帰納法」ということになるだろう。

そして、新しい技や難しい技などをやる場合に、さきほどの結論から「法則に則った技をかけよう」と考え、実行するのが「演繹法」であろう。

帰納法というのは、数多くの「例」を集積することで結果を導く方法であるから、稽古で少しでも多くの法則を見つければ、よりよい結果が出てくることになり、上達するはずである。

演繹法は、順序立てた仮定によって、最終結論を導き出す方法といわれている。自分が考えた仮定を1つずつ真実かどうか、技を通して検証していけば、導き出された結論はより強い力を持つことになるし、技もよいものになるはずである。

理科の実験から法則を導き出すのは帰納法であり、数学の公式から個別の問題を解くのは演繹法であるともいわれることから、合気道の稽古に於いては、帰納法で、稽古(実験でもある稽古)から法則を導き出し、演繹法で、その帰納法から導き出した法則で、個別の、新しい、または難解な技の問題を解いていけばよいことになるだろう。

最後にもう一度、個々の事象から結論としての一般的原理を導く帰納法と、それとは逆に、一般的原理から結論としての個々の事象を導く演繹法を、合気の稽古でどう使えるか、例をあげてみる。

帰納法:個々の事象から、事象間の本質的な結合関係(因果関係)を推論し、結論として一般的原理を導く方法。

個々の事象 「手が折れた」「陰陽が滅茶苦茶」「十字に使っていない」
因果関係(共通部分) 「法則に合っていない」
結論    「技がかからない」

演繹法:一般的原理から論理的推論により、結論として個々の事象を導く方法。大前提・小前提・結論三段論法が、代表的である。

一般的原理 「技を使う場合、手は折れてはいけない」
事実    「技をかけるとき、手が折れている」
結論    「技がかからない」

合気道の修行は、技の練磨を含め、多面的な複雑で微妙なものである。だから、帰納法か演繹法かの二者択一ではなく、両方の方法、つまり帰納的な思考と演繹的な思考が必要となる。

法則の発見には帰納的な思考、新しい技をつかってみる場合は演繹的な思考、その評価や反省には帰納的な思考などと、双方を適宜に使っていくことが重要であるようだ。