【第305回】 つながりのある稽古をする

合気之道の稽古には終わりがない。終わりがあるのは、稽古をしている本人であり、本人がどこまでやれるかにかかっているだけで、合気之道の知ったことではない。

合気之道は延々と続く。何かに向かっている。それは万有万物の進んでいる道であり、宇宙の意志であるという。

合気道の稽古は、宇宙の意志に沿って行われなければならないはずだ。そもそも合気道の技は宇宙の営みであり、宇宙の法則に則っているものである。宇宙の営みや宇宙の法則とは、宇宙の意志であるわけだから、それに同調しなかったり、逆らうことをしてはいけないわけである。

初心者にとって、宇宙の意志に逆らわずに稽古していくのは、容易なことではないだろう。なぜならば、そのためには、知るべきことややるべきことが沢山あるからである。例えば、十字、円の巡り合わせ、天之浮橋に立つ、道、技、等などが分からなければ、道にのれないし、道を先に進めない。また、ナンバや撞木の歩法、入り身転換、体の表つかい、腰腹と手足を結んでつかう、体の中心から動かす等などが身につかなければ、技はつかえない。

このように知るべきこと、身につけなければならない事はたくさんある、というより、恐らく無数にあるはずだ。どんな天才でもこれを短期間で知り、身に着けることはできないだろう。ましてや一般の稽古人ならなおさらだ。地道に稽古をしていくしかない。

しかし、注意しなければならないのは、ただ稽古をすればうまくなるという錯覚を捨てることである。上達するように、稽古することである。

では、どのようにすれば上達するかというと、宇宙の法則を一つ一つ見つけ、身につけていくことしかない。技は宇宙の法則であるから、技の練磨の中でそれをどんどん見つけ、つなげていくのである。

そして、技がつながると、開祖が言われたこと、書かれたこと、道歌、また、他の武道や絵画、音楽、文学、宗教、科学等とつながりができてくるはずである。つまり、ひとつのこと、技の一つ一つが万につながってくるはずである。
このつながりができれば、道にのったと言ってよいだろう。つながりができなければ、それは道にのらず、道に外れた外道ということになり、孤立することになる。

見つけた技は、他の技と結びつかなければならないし、開祖の言われていることや、他の世界のものともつながるようにならなければならない。また、今日の稽古は昨日の稽古、そして明日につながらなければならない。

一つの技の発見、会得は一つではない。無限の万につながるのである。無限の可能性を持つのである。一つの発見が万になるように、修行をしていかなければならないだろう。断片的な稽古は、しない事である。焦らず、着実に、そして、できるだけ長く稽古をするしかないだろう。