【第304回】 遊びをなくす

相対稽古で受けを取っていると、腕力や体力のある人でも意外にその力を発揮していないと痛感するときがある。相手と対した時、相手の手を握ったり、相手に接した時、この人はこれくらいの力があるから、これくらいの力は出してくるだろうと思うものだが、その期待が裏切られるのである。

掛けた技が有効に働くためには、いろいろな要素があるだろうが、その内に、「体の力や体重が技を掛ける手に伝わらなければならない」、というのがあるだろう。体の力が途中で切れてしまえば、手先まで届かないので、手先が力のおおもとの援助なしに、孤軍奮闘することになる。これを、手捌きとか手を振りまわすという。

手をこのような孤軍奮闘の状況に追い込むのは、力の補給路を遮断することにある。稽古でいえば、体の力の元と手先までの何処かで折れ曲がっているか、関節を動かす筋や筋肉の結びが切れてしまうことにある。従って、合気道の稽古で技を掛ける場合は、腕を折り曲げたり、関節や筋肉を固まらせたり、遊びがあっては駄目な事になる。

初心者は、技を掛ける際に腕を折ってしまうことが多い。筋肉が十分できていないし、関節や骨格がまだしっかりしていないため仕方ないが、まずは手を折ることは駄目だということと、なぜ駄目なのか、どうすれば折れないようになるのかを知る必要があるだろう。

なぜ腕が折れては駄目なのかという説明はしたので、どうすれば腕が折れないようになるかを説明する。

腕が折れるというのは、手の関節を直線的に単調に使うからである。もう少し詳しくいえば、合気の技は縦と横の円の巡り合わせで出来ているのに、横の円だけでやるからである。(詳しくは、思想と技:第258回「円のめぐりあわせ」参照)  手は縦の円のめぐりを加えて、螺旋でつかわなければ、折れてしまうのである。

手を螺旋で使うためには、手先と腰腹が結んでいなければならないし、腰腹から始動させて手先を動かさなければならない。
手先と腰腹が結んでいないままに手を使うと、手が孤軍奮闘することになり、手は折れ曲がって補給路が絶たれるので、腰腹からの救援は受けられない。また、手先から先に動かしても手は必ず折れる。

手が折れると力が切れるので、折角技を掛けた相手は蘇生し、元気になり、時として反撃に転じて来る。遊びができてしまうのである。折れるのはまずいことである。

折れてまずいのは、合気道だけではない。剣道でも、初心者は竹刀を振り上げると、肘のところで折れ曲がってしまう。野球のバッティングでも、ゴルフのスイングでも、テニスのラケットを振るのでも、下手は腰腹の結びが途中で切れてしまい、手振りになり、最後は腕が折れてしまう。遊びができてしまうのである。遊びができると、力は発揮されない。遊びをなくすようにしなければならない。遊びをなくすためには、弛まず、折れず、外れないように、腰腹で技を掛けていかなければならない。