【第300回】 文字化

私個人のことで申し訳ないが、私には二つの苦手があって、ずっと逃げてきた。ひとつは人前で話す事、もうひとつは字を書くことであった。だから人前にできるだけ出ないよう、そして話をしないようにしていた。文字もなるべく書かないようにし、親戚の内に遊びに行った時の礼状も、筆まめな親に書いてもらったり、結婚してからは女房に書いてもらった。

しかし、人から聞いていた通り、人生の前半に逃げたりやらなかったりしたことは、人生の後半にやらされるようだ。仕事の関係上、記者会見やパーティの司会をしたり、ドイツや見本市のプレゼンテーションを頻繁にやらされることになったのである。

そして、書くことからも逃げおうせなくなった。これも仕事で、新聞や専門誌にニュースリリースを書いたし、単行本『ビジネスのための武道』まで書いてしまった。

よほど逃げ回っていたと見えて、その反動も相当に大きかったようで、現在は自分のホームページに論文を書き続ける破目になっている。

といっても、嫌いで逃げ回っていた文字書きにつかまったことに、今では感謝している。仕事では、後進に自分の集めた情報やデータを残すことができて重宝がられているし、当時の自分のビジネスと武道の考えも本にまとまったのである。

ホームページで公開している論文は、これで300回目になるが、自分の考え方、成長の歴史となっている。

体を使う稽古だけやって、文字化してこなかったとしたら、自分の合気道は非常に違ったものになっていただろう。やはり、文字化したのは正解であったようだ。自分のやっていることは、文字化するのがよいと思う。

文字化するとは、合気道の修行をするにあたって、やった事、考えた事、発見した事、感じた事、感激したことなどなどを、メモや日記やエッセイ等に書く事である。

文字化の意義としては、

等などである。

文化は、文字で継承されるといってよいだろう。文字に残っていないものは、ほとんど消滅しているはずである。縄文時代には相当な文化があったようだが、文字がなかったために、その様子はわからないし、残念ながらほとんどが今に残っていない。

各自が自分の合気道を文字化していなければ、それは消えていくはずである。よいと思うもの、後世に残すもの、後進に引き続いて欲しいものは、文字化すべきだと考える。残るか消えるかは、後進が判断するから、我々はただ文字化しておけばよい。よいものは残っていくし、不必要なものは消えるだけである。