【第289回】 一人でできなきゃ 二人でなんかできない

合気道は、相対稽古で技を練磨しながら精進していく武道である。通常は二人で組んで稽古をしていくが、これは非常によい稽古法だと思う。

しかし、すべての物事には裏表、陰陽があるように、このよい稽古法にも長もあるが、短もある。その短の最たるものを一言でいえば、「相手を意識しすぎて、自分を忘れてしまう」ことである。相手を倒し、抑えれば、うまいと思ってしまうのである。

稽古の年月を重ねれば、年月の少ない相手を投げたり抑えるのも容易になるので、自分はうまくなったと思うようだが、だんだんに技が効いていないことに気が付いてくるものだ。

だが、ここから本当の稽古が始まらなければならないのである。技の練磨の次元に入るわけである。

技を練磨するための条件は、技を生み出せる体ができており、技が出るような動きができることである。この条件が欠けていれば技はつかえないし、練磨も難しくなる。

しかし、現実的には体ができてなくても、体がうまく動かなくても、技を掛け合う稽古を続けている。おそらくは技を掛けあって稽古していれば体ができ、体もうまく動くようになるだろうと、無意識の内に期待してやっているのだろう。

合気道の技は、宇宙の営みに則っているわけだから、法則性がある。従って、その技を遣う体と体遣いにも、法則性がなければならないことになる。例えば、陰陽である。陰から陽へ、陽から陰へと、常に変わっていく。それに、縦横の十字の円で動く等などがある。

しかしながら、前述したように、相対稽古で稽古していると、どうしても相手を意識しすぎてしまうため、自分の体や体遣いに注意してやることが疎かになりがちである。だから、長年稽古をしている人でも、武道の基本である、例えば、ナンバ歩き、手足の連動遣い、息遣い、肩貫きなどが身につかず、技もうまくつかえないで悩んでいる人が多いのではないだろうか。

相対稽古で自分の体や体遣いに注意した稽古ができなければどうすればよいかというと、相手をなくして一人で稽古をすればよい。いわゆる、一人稽古である。

先ず、歩くことである。武道の歩き、合気道の歩き、ナンバと撞木の歩法である。そして手と腹を結び、足と腹を結び、腹を仲介して、手と足が連動し、自由に動けるようにする。

次に、息遣いの稽古である。これはストレッチでやればよい。手首でも、腕や肩でも、首でも、足でも、縦そして横(又は横そして縦)と十字に力を加えてその部位を伸ばすわけだが、その際、まず縦(横)に動かしながら息を吸い、限界のところから息を吐きながら、加える力を直角(十字)に方向転換する。この息遣いは、技を遣うときと全く同じであるから、この一人稽古で身につけるのがよい。

言葉をかえて言えば、一人で武道の歩きができなかったり、息遣いができなければ、相対での二人の稽古で武道での歩くことも、息遣いも、できるはずがないだろう。

ストレッチだけではなく、形や技も、イメージトレーニングなどで一人でできるものだ。一人でできなきゃ、二人でなんかできない。もちろん、一人でできた事が、二人の相対稽古でできる保証はない。しかし、一人でできたのであれば、相対稽古でもできる可能性はある。できなければ、さらに稽古を続けるだけである。

まずは一人でやってみることである。