【第284回】 足を本能でつかう

合気道の技は手でかけるので、手の使い方には誰でも注意を払うし、研究するものだ。手の働きは頭にあるといわれるように、手と頭は繋がっており、手は頭に従って動けるので、手は割合容易につかえることになる。

手に比較して、足は思うように動かないものである。手のように頭で考えて足に指令を出しても、足は脳からの指令を手のようには受け取れないようである。

手は知能で、足は本能でつかえということにもなるだろう。手は知能というのは、手を縦横の十字でつかうとか、縦の円、横の円でつかうとか、中心を切るようにつかう、手が折れないように螺旋でつかう等など、まず宇宙の法則としての技(技要素)を知能として頭に入れ、それを手に伝える、ということになるだろう。だから、宇宙の法則を知らなければ手はつかえないということにもなるだろう。

足は本能でつかえというのは、もちろん頭で考えて動かすこともできるし、手のように知能も必要だろうが、現実には、頭で考え始めたとたんに足は止まるので、足をつかうに当たっては、頭でなど考えていられないはずだからである。

そうかといって、足はめちゃくちゃにつかえばいいということではない。やはり、手と同様に法則があるはずである。

従って、頭で考えずに、しかし、でたらめではなく、法則性のある足つかいをするには、どうすればよいかということになる。

それは、宇宙の法則の技や形に、足の動きをはめ込んでいくことである。体三面に開き、撞木で△に進む三角法、陰陽交互、天盤・地盤、地からの抗力、天へ舞い上げる、2・3軸から1軸にする重心移動等などを身に着けて、いつでもそのように足が動けるよう、つかえるように、修練することである。

それが身に着けば、考えなくとも自然に、そして本能的に、足が動くようになるはずである。これが、足を本能でつかうということになるだろう。