【第279回】 上達のこつ

合気道は技を練磨して上達し精進していくものだが、なかなか思うようには上達しないものである。スポーツのように勝ち負けの勝負でもあれば、上達したかどうかとか、うまいかへたかも分かりやすいが、合気道にはそれがないので、上達しているのかどうかが分かりにくい。

しかし、合気道でも上達はなければならないし、誰もが上達したいと願っているはずである。問題は、合気道では何が上達なのか、どうすれば上達するのか、ということだろう。

学問や技芸などでは、核心となる大事な事柄を極意という。極意とは上達のこつということだろう。

合気道で上達するための極意を、開祖は「極意とは自分を知り、理を究めて、合気をもってみそぎ技とするのです」(武産合気)と言われているから、これに従って稽古をしていけば上達するはずである。

この開祖の言葉は簡単すぎるし、また、抽象的であるので、これがありがたい極意とは信じられないかも知れないが、開祖の言われることを信じ、熟読玩味し、そして見えない部分は、開祖が言われんとすることを推しはかり、行うしかないだろう。

極意の要件を3つ言われているが、まず極意の一つ目は、自分を知ることであるという。自分を知るということには、いろいろな意味がある。例えば、自分の身体を知ること。五体や手足の構造、各部位や関節・筋肉の機能。また、自分は何者なのか、自分の使命は何なのかなどである。確かに、自分を知らずして合気道の上達は考えられない。

二つ目は、理を究めよということである。理というのは、宇宙の理であろう。合気道の技は宇宙の条理、宇宙の法則に則ったものであり、その技を練磨して精進する。つまり、宇宙の理、宇宙の法則を見つけよということだろう。例えば、螺旋、円、陰陽、十字、天の気、地の呼吸等などであろう。

三つ目は、自分を知り、理を究めたものを、合気の技で体現することである。つまり、自分をいくら知ったとしても、宇宙の理がいくら頭でわかってもだめで、それを合気の技で示すことができなければならない、ということであろう。

上達のこつは、自分を知り、理を究め、それを技で示せるようになること、というのであるから、上達するためには、まず、この三つの要件を伴った稽古をしなければならないことになる。

そして、この三つの要件の一つ一つをより深く究めていくのが上達ということになるはずである。深く究めれば究めるほど上達し、また、より上達した技を示すことができるはずである。

逆にいうと、技を見れば、その技にどれだけ自分を知り、究めた理が入っているか、分かることになる。

要件とは、必要条件であるから、これがなければ上達はない。しかし、これをやったからといって、名人達人になるということ(必要十分条件)ではない。やり方や一生懸命度、才能、運によって、上達の度合いは違ってくるはずである。しかし、この要件を満たして稽古を続けていけば、名人達人に近づくことができるし、もしかすると達人名人になれる可能性もあるかもしれないということである。