【第240回】 呼吸法と技

合気道は武道であるが、勝ち負けの勝負を目的とするものではない。しかし、ちょっと気がゆるむと、相手を倒そうとか抑えようと力んでしまう。競争社会に生きる人間の性なのか、前に通ってきた柔術の怨念がまだ残っているのか知らないが、相手を倒すことに専念してしまいがちである。

しかし、技をかけて相手が倒れないのは、技が効いてないことになり、未熟ということになる。技をかけたら相手は倒れなければならないが、合気道では相手を倒すのではなく、相手が自ら倒れるようにしなければならないのである。もちろん、これは相手を倒すより難しい。そのためには、やはり合気の身体をつくり、理にかなった身体の遣い方をし、そして理合いの技を遣わなければならない。

身体と技をむすびつけるものが呼吸力、ということができるだろう。呼吸力は、身体と技同様に鍛錬しなければ量質ともの向上はない。

呼吸力は技を稽古するなかでも養成できるが、呼吸法という鍛錬法で練磨するのがいい。合気道ではそのために、呼吸法という他に例を見ないような鍛錬法をもっており、技の稽古の前や終わりには必ずやっている。かつては今のような準備体操はやらずに、諸手取り呼吸法を準備体操の代わりにやったものだ。二人掛けや三人掛けの諸手取り呼吸法もよくやった。

稽古の最後は、今も昔も坐技呼吸法である。これはどこの国やどの指導者でも変わらないようで、坐技呼吸法が重要であるという証しであろう。

呼吸法には、諸手取り、片手取り、両手取りの他、後取り、坐技、二人・三人掛けなどいろいろあるが、技とは違うことに注意して稽古をしないと、そのご利益は半減する。呼吸法を技と一緒にし、相手を投げたり抑えたりすることを目的としてしまうと、意味がなくなるということである。

呼吸法は、呼吸技ではない。わざわざ呼吸法という名称がついているのである。技というのは、相手の攻撃を制し、倒したり抑える術であるが、呼吸法とは「呼吸力養成法」のことで、呼吸力をつける鍛錬法である。相手を倒そうと力んだり、腕を折り曲げたり、体勢を崩したりしてやっては、呼吸力の養成にはならない。相手が思うように動かなくとも、倒すことができなくとも、呼吸力が少しでもつくようにやればよい。手先と腹をむすび、相手とむすび、腕を折らないように、腰腹をつかって手を操作するのである。そして、少しづつ肩を貫いていけば、いつか腰腹と手先がむすび、腰腹からの呼吸力が遣えるようになるはずである。

いつその呼吸力が出て、遣えるようになるかはわからないが、呼吸技ではなく呼吸法をやれば、必ず遣えるようになるはずである。それを信じ、あせらずに、地道に稽古することである。