【第239回】 本質と目的

稽古事をしていくと、ある時点で行きづまって、先に進むことができなくなり、止めてしまうことになるケースが多い。合気道でも入門者は多いようだが、その割には稽古をずっと続けている人がそれほど多くないところをみると、理由はいろいろあるだろうが、多くの場合、稽古に行きづまって止めてしまったのではないかと思われる。なぜそう思うのか、理由は行きづまると思われるような稽古をしている稽古人を多く見かけるからである。

合気道の稽古に行き詰まらずに長く続けるためには、なぜ自分は合気道を稽古するのかという稽古の目標を持たなければならないだろう。稽古の目標をしっかり持つためには、自分の人生の目標もしっかり持たなければならないことになる。

そうすると、合気道とは何か、合気道の本質は何かということを知らなければならないことになる。それはまた、自分をよく知らなければならないことになる。自分を知るということは、つまり自分の未熟さや愚かさを知り、自分とは何者でどこから来てどこに行くのか等を知る、ということである。

誰も、合気道や自分自身の本質などわからないだろう。どうせ分からないのだから、自分で決めればよい。誰も正確には分からないのだから、反論もないはずだ。

合気道の本質、つまり合気道とは何か、その目指すものや役割や存在意義などを自分なりにわかれば、それが自分の稽古が目指す目標ということになろう。そして、その目標と自分自身をつなぐものを道といってよいだろう。合気道はこの道にのって、この道を外さないように稽古を続けていけばよいことになる。

本質から目標をみつけ、目標を定めただけでは、上達はない。目標に近づいていくための手段が必要である。合気道では、それは技の練磨であるといわれている。合気の技の練磨を通して精進し、目標に近づき、合気道の本質を捉えようとするのである。

技の練磨といわれても、あまりに漠然としていて手のつけようがないかもしれない。でも、技を練り磨いていかなければならないわけだから、それを地道にやっていくほかはない。

まず、練磨する技とは何か、一度考えてみなければならない。これは、技の形のことだけではないことに注意しなければならない。技は宇宙の法則に則ったものといわれる。私はこの技を技要因(技要素)といっている。つまり技の練磨とは、無数にあると思われる技要因を見つけ、それを身につけていくことであると考える。この技要因を見つけ、身につけていくことが稽古の目的ということになるだろう。

物事で大事なことは、ビジネスでも習い事でも、その本質を見定め、目標を定め、そのための手段としての目的を数千数万の要因から抽出し、実行することだろう。本質が見えなかったり、目的手段を誤れば、いい結果は出ないので、ギブアップしてしまうことにもなるのだろう。