【第230回】 ため
世の中が豊かになると、人は忙しく、せわしくなるようだ。忙しさは豊かさの代償で、忙しさと豊かさはセットになっているのかもしれない。
人はその忙しさから逃れたく、いろいろな試みをしている。座禅をくんだり、音楽会や展覧会にいったり、また習い事をする。合気道も、日常の忙(せわ)しない世界を抜け出して、別世界で人間本来の時間を持とうとして来られる人達が多いはずである。
それなのに、道場での稽古にも日常の忙しい世界を持ち込んできて、忙しい稽古をしてしまうことが多いものだ。自分本位で相手のことにも構わず、急ぎ過ぎたり、慌てたりして、がむしゃらに力で技をかけてしまう。
合気道は技を練磨して先へ進んでいくものなので、技がポイントになる。つまり、技と対話しながら、技が効くようにしていかなければならないことになる。技が効くためには沢山の条件があるわけだが、そのひとつに「ため」がある。
「ため」というのは、次の作業や動作をより効率的にするために、力やエネルギーをその前で一瞬溜めることであり、そのため、動きの軌跡が時間的に若干凝縮することになるということだろう。例えば、野球のピッチャーは速い球や重い球を投げるために、「ため」を大事にしている。
合気道で技を掛ける場合に、どんなところで「ため」が必要になるかというと、まずは相手と接して結ぶときであろう。入り身で相手に接すると相手から必ず抗力が返ってくるが、その抗力が来るまで一瞬待って溜めるのである。この「ため」をしないで動いてしまえば、相手からの抗力が遣えないので、自分のパワーだけでやらなければならないし、相手と結べないので、相手はついてこない。
また、相手を投げたり押さえる前も「ため」がなければならないだろう。相手のエネルギーと自分のエネルギーを一瞬溜めて、そのパワーを遣って投げたり押さえるのである。溜めずにやれば、自分のパワーだけで直線的にやるだけなのでパワーの合気になってしまい、相手に力があれば効かないことになる。
本来、「ため」がないと、どんな技も上手くいかないことになるが、「ため」がないために、相手に頑張られて出来ない典型的な例とその解決法を挙げてみる:
- 三教: 押さえた相手の手をすぐに捻って決めるのではなく、その手(腕)を一度外側に導き、相手がその手(腕)を引く気を起こすまで待って(ためて)から決めるとよい。この「ため」がないために、多くの人は三教に苦労しているはずだ。
- 四方投げ: 四方投げで最後に相手の手を切り下ろすように投げるとき、単調に落とさずに、一瞬掴んでいる手からの力を上に導き、相手の下に落とそうとする抗力を「ため」、それが溜まったところで切り下ろせばよい。溜めないで切り下ろせば、力のある相手は肩と足でその力をブロックしてしまい、倒れないものである。
- 天地投げ: 天側の手が上がらないで苦労している人が多いが、やはり「ため」がないからだと言えよう。手をすぐに上げるのではなく、腰の返しをすることから出るエネルギーを手に溜めて上げるとよいはずである。
等などである。
「ため」は手だけの専売ではない。足にも「ため」は必要である。その典型的な例と解決法を書いてみる:
- 四方投げ: 投げる前の転換で、前足から後ろ足に重心を移す際の「ため」が十分であれば、相手を軽く動かすことができるだろう。
- 入り身投げ: 相手の襟首や首筋に手を当てて、他方の手で相手の首を切るように倒す際、内側(相手に近い方)の足で投げるのではなく、外側の足に重心を移動し、体重を溜めてから切り下ろせばよい。
- 二教裏: 前足に重心を掛けたままいくら力を込めても、相手が少しでも頑張れば、二教は効きにくいものである。後ろ足に重心を移して体重を「ため」、その溜めたものを手先ではなく、体ごとぶつけていけば効くはずである。
等などである。
「ため」は大事であることは認識できただろうが、「ため」をするにはどうすればよいのかということを考えなければならないだろう。「ため」は一連の動きの中で、時間的そして空間的な軌跡の中で行われるわけだから、体と息遣い(呼吸)と感覚などが重要になろう。体では、特に体の中心である腰が大事だろう。腰を螺旋に遣うことによって手と足に「ため」が出来ることになる。
それには、「ため」ができているのか、また自分の状態や相手の状態はどうなっているのかなどの感覚を研ぎ澄まさなければならないだろう。よほど体と気持ちを集中して稽古をしなければならないことになる。
さらに、体の動きをコントロールしたり、自分や相手を感じ、またその二つを結びつけるのは、呼吸であろう。呼吸の稽古を「ため」で磨いていくことも重要であろう。
参考資料 NHK総合テレビ 「スポーツ大陸 広島・前田健太」
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