【第227回】 出したものは戻す

合気道の基本技で最も難しいのは、「正面打ち一教」ではないだろうか。この技は数十年稽古しているが、まだまだ納得できない。他の基本技も、じゅうぶん納得できるということではないが、稽古を続けていけばなんとか形になるような気がする。しかし、この一教は、このやり方でよいのか、どこに欠陥があるのか、どうすればよいのかが、まだよく分からない。自主稽古でいろいろ試してはいるが、これはという解決策はまだ見つかってない。

私の求めている理想の一教のイメージは、晩年の有川師範の一教である。師範の一教は芸術的といっていいほど無駄のない、自然で美しい捌きであった。それ故、師範のビデオや写真を見て研究しているのだが、まだその秘訣の全貌が見えてこない。ひとつひとつの秘訣を地道に見つけ、身につけていくしかないようだ。

私は、1999年9月28日から2003年3月22日まで、有川師範の本部での水曜日の稽古のメモを取り、師範の言われた事や言わんとされるのだろうと推察したことを記録していた。それで、また一教に関することをその記録の中に探してみると、その中に「出した気は戻す」(1999.9.28)ということを言われているのを見つけた。

「出した気は戻す」とは、力でも、気持でも出しっぱなしでは駄目であり、出したら必ず戻さなければならないということである。一教の場合は、相手の手を受けて切り下ろして出した前の手を、すかさず引き戻すことである。それと同時に後ろにあった反対の手が出るが、それもまた引き戻すのである。

この「出しては戻す」の両手の遣い方を、有川師範はよく"汽車ポッポ"の手遣いと言われて、苦笑いされながら"汽車ポッポ"をやられて示されていた。

手も気持ちも、出したら戻し、戻したら出し、そしてまた出したら戻すの繰り返しにならなければならないということだろう。これを師範は「還流」とも言われた。

この「出したら戻す」により、動きは円運動となり、宇宙の営みを模す合気道の基本の円の動きになるので、技が掛かることになるはずである。これが、出したものを戻さず、出しっぱなしでやれば、直線的な動きになり、相手を弾き飛ばしたり、相手の接点を離してしまうことになるので、技が上手く掛からないはずである。

正面打ち一教を上手く掛けるための技要因は沢山あるはずだが、この「出したものは戻す」も重要な技要因であるはずであるから、これを身につければ少しは一教に進歩が期待できるかもしれない。

また、これは合気道の技の技要因であるから、一教以外の二教、四方投げ、入り身投げ等の技でも、「出したものは戻す」の還流で掛けていかなければならないはずである。