【第217回】 自分の体重が技にならなければならない

人には重そうに見える人、軽そうな人がいる。重そうな人はたいてい体が大きく、軽そうな人は小柄か細型である。もちろん、例外は沢山ある。スポーツでは体重がある方が有利であるとして、体重制をとっているものもある。典型的なものは、柔道やボクシングであろう。

合気道には体重制はない。試合がないからという訳ではなく、相手が重くても、大きくても関係ないようにしなければならないからである。

大小、重軽などを関係なくするのは「技」である。「技」が遣えてくれば、相手との重量や体積の差をカバーできるし、その差を無視することができるようになるはずである。しかし、技を十分に遣えない内は、自分より大きい人や重い人とやるのは難しいので、そういう相手との稽古を避けたり、体重制の導入を望む稽古人がいるかもしれない。

「技」で重い相手でも大きな相手でも制することができるということは、相手に相手が予測している以上の重さを加えるということでもあろう。人間の頭のコンピュータは相手を見て、このぐらいの体型ならこのぐらいの力だろうと計算し、そして、手を抑えられてもこのぐらいだろうと予測するものだ。しかし、その予測の計算式は日常一般的な生活活動を基礎データにしているので、武道に習熟した小柄な相手を読み違えたりするのである。

相手は手で抑えられたのだから、たかだか手の力など大したことではないと思ってしまうわけだが、実はそこには予測以上の力が掛かっているのである。それはこちらの体重がかかった力だからである。

合気道は「技」の練磨で上達していくものであるが、自分の体重を「技」に換えることが重要である。自分の体重を、相手の手や体に掛けるのである。そうすれば、相当大きい人でも手で50、60キログラムの重さに手で耐えるのは、難しいものである。

かつて本部道場で教えておられた有川定輝師範は、「自分の体重が技にならなければならない」と言われた。(1999.8.25) 有川師範は、毎時間の稽古でテーマをもって教えておられたが、この時間のテーマは「自分の体重が技にならなければならない」であった。
自分の体重が技になるために、師範が注意されたことは、

等であった。

ちなみに、この「自分の体重が技にならなければならない」をテーマにしたこの日の稽古でやった技と注意された事は次の通りである: 有川師範は、我々初心者に、自分の体重を技にしやすい基本技として、上記の技をやってくださったのだが、もし、我々稽古人がもう少しレベルが高ければ、もっと違った技でもこのテーマを教えて下さっていたはずである。今更ながら、自分の無能を恥じ入ると共に、残念に思う。