【第212回】 遠心力と求心力

世の中にあるものはすべて、裏と表、陰と陽を合わせ持っている。宇宙にあるものもすべて、その両方を合わせ持っているだろう。そして、その陰陽、裏表のバランスが崩れると、災害などの現象が起ったりするのだろう。合気道はこの陰陽の存在と重要性を教えてくれる師でもある。

技の練磨を通して精進していく合気道の技にも、表と裏がある。また、入り身と転換とも言えよう。技、とりわけ基本技は、表と裏の両方が出来なければならない。技によっては表がやりにくかったり、裏がやりにくいようだが、敢えてできるようにしなければならない。例えば、入り身投げとか三教であるが、どちらも表は難しいようだ。

表と裏の両方が出来なければ、表をやってもその技は上手く掛からないはずである。なぜならば、理想的な技は、表をやっても、そこには裏が合わさっていて、裏表が一体化していなければならないからである。その表裏のバランスをちょっと表にしたのが表なのであり、いつでも裏にもそして表にもできるのである。

この他の陰陽の教えとしては、体は陰陽で遣わなければならないこと、陽は陰になり陰は陽に変わる、陽、陽などと体を遣ったら技は掛からない、などがある。

さらに、体にも裏表あるが、体は陽の表を遣わなければならない。体の陰を遣うと体を痛めることになる。

このほかにもまだまだ陰陽の教えがあるが、技が効くためのもう一つの重要な陰陽の要因がある。それは、遠心力と求心力である。遠心力は外に出る力だから陽であり、求心力は自分に来る力なので陰であろう。

技を掛けるとき、この遠心力と求心力が合わさって働かないと、技は効かないものである。いくら力を入れて押したり、引いても、痛くはできても技を効かせることはできない。

すべての技には、遠心力と求心力が備わっていなければならない。それが分かりやすく、実感しやすいのは、四方投げ、小手返しであろう。遠心力で相手がこちらの周りをまわるようにならなければならない。そのためには、それに相応する求心力で相手の力を自分の中心に集まるようにしなければならない。

一教腕抑えでも、相手の腕を押したり、掴んでしまうのではなく、出しながら引く、遠心力と求心力を働かせなければならない。この遠心力と求心力を、身につけたいならば、呼吸法を繰り返しやることだろう。

遠心力と求心力で技をかけるということは、その両方のバランスが取れているわけだから、円の軌跡を描くことになろう。片手取り四方投げの場合は、こちらの体の中心が支点となり、相手が掴んでいる手先が遠心力と求心力の円を描くはずである。言い換えると、円の奇跡を描いていない動きは、遠心力と求心力がバランスよく働いていないということになろう。合気道の動きは円といわれるのは、この遠心力と求心力からなる軌跡にあるのだろう。

この遠心力と求心力の感覚は、剣の素振りをする時も理解できるし、身につけやすいだろう。遠心力と求心力の感覚が掴めたら、次は遠心力と求心力が合わさった剣を遣うように稽古していかなければならない。

遠心力と求心力の合わさった剣が遣えるようになれば、体術での技遣いも変わるはずである。