【第207回】 「二八の十」「五五の十」(にはちのじゅう、ごごのじゅう)

合気道の技は、先ずは相手と結ばなければ始まらない。結ぶというのは相手と自分がひとつになることで、一体化することである。つまり、1+1=1となることである。一体化しなかったり、一体化できなければ1+1=2となり、お互いの思いが異なるので、自分の思うように技を決めることは難しくなるし、時としては争いになることになる。

相手と結ぶ、一体化するのは容易ではないだろう。なぜならば、人はみんなひとりひとり違うからである。力の強さ、力の質、気持ち、考え方、それに体格、体重、腕の太さ、体の柔軟性等などにも違いがある。

とりわけ苦労するのは、力が相当強い相手と結ぶのが難しい場合だろう。また反対に、女性の初心者で、やる気があるのかどうか分からないような相手と結ぶのも難しいものだ。最も結びやすいのは、自分と同じぐらいの力やレベルの相手であろう。

開祖は、合気道はまず「天之浮橋」に立たなければならないとよくいわれていた。私は、この「天之浮橋」に立った状態が、相手と結んで一体化した状態ではないかと考える。技を掛ける相手は、押したり引いたり打ったりして攻撃してくるわけだが、これと結ぶのである。弾いたり避けたりしたら、一体化はできないし、「天之浮橋」にはならない。

鬼一法眼の言葉に、「来たるを迎え、去るは送る、対すれば相和す。五・五の十、一・九の十、二・八の十。大は方処を絶し、細は微塵に入る。活殺自在」というのがある。開祖もこの言葉をよく遣われていたようだ。この十になる処が、攻撃相手の力と自分の力が結び、一体化できる天之浮橋ではないかと思う。

しかし、注意しなければならないことは、例えば一・九の十で相手が大きな九の力で来るのを一の力で迎えるのだが、相手の九分の一の力だけあればよいということではない。十の力を有した上で、この場合はその内の九分の一の力だけで対応するということであるはずだ。あるからといって多過ぎる力を遣うのも駄目だし、力が無いのも駄目ということである。

この「二八の十」「五五の十」は、すべての技で実感できなければならないが、はじめは中々難しいだろう。これを実感できる方法として、相手に片手を取らせる片手取りの稽古がいいだろう。片手を取らせて相手と結ぶ稽古である。

手をただ取らせただけでは、相手と結ぶことはできない。結ぶためには、次のようなことをしなければならない: 腰腹と結んだ手を、腰腹で上げるようにして手を取らせる(手で操作しない)。 相手が手を掴んだら、相手の手がつっぱるまで、腰を操作して、手を相手の中心に進める。このときの息は呼気。 ここで相手の力の強さや質を測定し(感じ)、即座に、十になるためには幾つの力を出せばよいかを判断する。 十になったところで、吸気に変える。そこで、相手と結んだと実感できるし、引力が働き、その引力で相手の手をくっつけてしまえるはずである。 力を強く出し過ぎたりして、十以上になっても駄目だし、力が弱過ぎて、十以下でも結ぶことはできない。もし相手とくっつくことが出来なければ、こちらの力の過不足であり、対応が悪くて十にならなかったということになるのだろう。

「二八の十」「五五の十」と、常に十になるように技の練磨をしていきたいものである。