【第205回】 技の名前 (前編:四方投げ、入り身投げ、小手返し、回転投げ、天地投げ)

「名は体を表す」と言われるように、名前はそのものの実体を言い表しており、名前と実体は相応じるので、名前は重要である。人の名前の多くもそうだし(例外は多いが)、武道の技の名前も、開祖や先人達が考えに考え抜き、練りに練って付けられたはずである。名前を噛みしめ、名前をつけてくれた人に感謝し、そして名前を付けてくれた人の、名前をつけたときの気持ちにたちかえって、その名前の意味するものに沿った技遣いをしなければならないだろう。

合気道には数千の技、ある意味では無限の数の技があると言えるだろうが、そのうち、名前のついている技は非常に少ない。一〜五教、四方投げ、入り身投げ、小手返し、回転投げ、天地投げ、十字投げ、肘ひしぎ等と、20もないだろう。ただ相手の攻撃の方法の「取り」(片手取り、太刀取り、短刀取り、杖取り等)と攻撃の人数の「掛け」(二〜五人掛け、多人数掛け)との組み合わせで、技が複雑多様になったように思うのである。

逆に考えれば、この20もないような技にだけ名前が付いたということは、その技は名前を付けなければならないほど、とりわけ重要であるということと、その技に付いた名前に重要な意味があるということであるはずである。
そこでこれらの技の名前を再度検証し、技の名前の重要性を見ていきたいと思う。

まず、「四方投げ」であるが、一般には四方に投げ分けることができる技という意味で付けられた名前といわれる。確かにどの方向にも投げ分けることが出来るが、厳密に言えば、どんな技でも四方八方に投げることはできるはずで、敢えてこの技に「四方投げ」と名付けたのには、他の技の四方に投げるのとは違う意味で、四方に投げる投げ方があるということかも知れない。

また、もうひとつ、相手を崩す方向も四方の十字方向という意味もあるのかもしれない。この四方の崩しがなければ相手は崩れないし、相手を四方に投げることも出来ないはずである。この四方の崩しは「四方投げ」だけのものであるようだ。いずれにしても、投げと崩しで「四方」を研究する必要があるようだ。

「入り身投げ」は、入り身で相手の死角に入って投げる技で、入り身を会得するのに最適の技である。従って、入り身をすることが重要であるということである。「入り身投げ」で身を入れず、足だけ入れれば「入り足投げ」ということになり、「入り身投げ」ではないことになる。

また、「入り身」しただけでは、すり抜けることは出来ても、相手を投げることはできない。転換して、相手と身と心が一体化しなければならない。「入り身投げ」には「転換」という文字が隠れていると考えるとよいだろう。しかし、「入り身転換投げ」では様にならないから、やはり「入り身投げ」なのだろう。

「小手返し」は、相手の小手を返して倒す技である。小手がどこにあるか分からなければ、小手を返すこともできない。小手がどこか分からなかったり、名前を疎かにしているため、「小手返し」をやっているつもりでも、小手ではなく手首を捻る「手首いじめ」になっていることが多い。この「小手返し」は、名前を疎かにしている典型的な技であるといえる。

「回転投げ」は、相手を回転させて投げる技である。相手の腕を押さえて、相手が受けを回転してとるから名付けられたのではないはずである。武道なのだから、本当に相手を回転させて倒さなければならないはずである。回転させるためには、相手の腕だけを押すのではなく、相手の腕と頭を同時に回さなければならない。このためには、相手の腕を相手の肩のところでロックしてしまい、手刀で相手の首を切るようにして、両手を同時に遣って回転させなければならない。少しでも激しくやれば、相手は頭を中心に一回転してしまうものである。回転投げとは、的を得た技の名前であると思うはずである。

「天地投げ」は、一方の手は天に向け、他方の手は地に向けて、天と地で倒す技という意味である。この意味をよく理解しないでやると、天に上がるべき手を水平に動かしてしまい、相手の首にぶつけてしまうので、そのあとは力でのごり押しとなる。こうなると、他方の地に降りるはずの手も、地に降りずに死に手となり、結局、上の手を振り回すだけの「天天投げ」になってしまう。「天地投げ」は、手を陰陽に天と地に遣って投げる技でなければならない。

「十字投げ」、「肘ひしぎ」などは、名前の通りであるから省略する。一〜五教の名前には重要な意味があるはずなので、検証してみたいが、長くなり過ぎるので次回にする。