【第20回】 道場での心構え

最近の道場は、修業の場というよりも、むしろスポーツセンター的な様相を呈しているように思える。つまり、稽古人の多くは、体を動かして汗をかくことができればいいと考えているのである。それは、道場を自分の家や社会の延長または一部と考えているからだ。

道場に入っているというのに、俗世間のことを稽古の始まる直前まで話していたり、足を投げ出して座っていたり、何もしないで突っ立っていたりする者も多く見かける。それもだんだんひどくなるようで、まことに困ったものである。 その上、道場には冷暖房がないが、暑いだの寒いだの、また、稽古中にほこりがたつので換気扇をつけろということまで、開祖がお聞きになったら大目玉ものであるようなことを聞くようになってきた。

道場は修業の場であり、神聖な場であり、俗世界とは違う別世界である。俗世界から別世界へ入るときも、出るときも、座礼の儀式をして気持の切り替えをするわけである。この儀式をしっかりしないと、道場でまで俗世のことを引きずって稽古に集中できないし、深く入ってはいけない。また、道場を出るときも儀式をしっかりしないと、合気道を街や家庭や会社まで引きずってしまう。時として、命に関わるほどの危険もある。特に、稽古の後、車や自転車で帰る場合は危険である。礼に始まって礼に終わるということを、もう一度よく考えてみてほしい。

修行は自分との戦いである。合気道の修行の究極の目標は、宇宙との一体化といわれる。このためには、自分を無にして、宇宙万世一系につなげなければならない訳であるから、道場では、世俗のことを忘れ、よほど集中して稽古をしなければならない。

道場とはなにか、そして道場での心構えはどういうものかを、もう一度よく考える必要があろう。