【第197回】 素直

人には話をよく聞く人とそうでない人があるようだ。人の話をよく聞く聞かないは人にもよるが、年齢にも関係があるようだ。一般的に、年を取ってくると人の話は聞かなくなってくるようで、それを世間では頑固になったというのだろう。

人はこの厳しい競争社会で生きていかなければならないので、自分を自分で守らなければならない。人の話に振り回せられたくないので、自分の考えは正しい、他人には負けないようにしなければならないと思うようである。そのため、人の話は初めから聞かないか、自分の方が上だから聞く必要がないなどと思うのだろう。

何かで読んだ話だが、ある落語家が高座で話しているのを、別の落語家の師匠と弟子が聞いて、弟子が「下手ですね」と言うと、師匠は「お前と同じぐらいだ」と言ったという。更に師匠は、「自分と同じぐらいだと思ったら自分より上、自分より上手いと思ったら自分より相当上というものだ」と言ったという。人が如何に自惚れしているかの戒めの例である。

合気道を上達するためには体を使った稽古をしなければならないが、ただ漠然と技を繰り返してやっていても駄目で、幅広い分野の知識や情報を技に取り入れていかなければ、ある段階から上への上達は難しいと考える。

上達するための知識や情報は、まわりの人から得られる。まず合気道を修行している先生、先輩、仲間。他の武道家、スポーツ関係者。芸能家、芸術家等などのやること、言うことや書いたことからであるが、大事なことは、それを素直に取り入れることである。素直に求めようとしていれば、自分から求めなくとも向こうから必要なものがやって来てくれて、知りたいと思っていたことが「人の声」として目に付いたり、耳に入って来るようだ。まずは、「人の声」に素直に耳を傾けることである。

次に、素直に聞かなければならないのは「自分の声」である。こちらから求めていても、求めていなくとも、「自分の声」は何かを自分に伝えようとしている。この声に素直に耳を傾けることである。この「声」がどこからくるのか、正体が何かは、今の科学ではわからないから、あまり深く考えない方がいいだろう。ひたすら素直に自分の声に耳を傾けるのがよいようだ。必ずよい方向に導いてくれているはずである。

これに関連して、所謂「天の声」があるようだ。この「天の声」に耳を傾けなければならないだろう。この「天の声」は、「自分の声」が自分の中から出てくるのと違い、自分以外のどこからか発せられる声である。これを「天の声」とか「神の声」とか、または「閃き(ひらめき)」等というのだろう。

この「閃き」を感じ、それを信じ、実行することである。そのためには真から素直にならなければならない。素直ということは偏らないこと、合気道でいう「天之浮橋に立つ」ということであろう。

開祖は、合気道は「天之浮橋に立たなければならない」といわれたことは、「天の声」を聞くためにも素直にならなければならないということでもあるのだろう。