【第182回】 技の鍛錬

合気道は技を練磨して上達していくので、技の練磨が何よりも大事になる。しかしながら技の練磨といってもそう簡単にできるものではないと思う。その理由の一つが、「技」の定義を曖昧にしていることである。

他の武道から見れば、例えば「四方投げ」は合気道の技となるだろうが、合気道を修行しているものから見ると、この「四方投げ」は、四方投げの技の型と考えた方がいいと考える。従って、「四方投げ」の型の稽古をしているだけでは、初心者はともかく、上級になるとそれ以上の上達は難しくなる。

ということは、上達するには真の技を練磨しなければならないことである。技を練磨するとは、技を構成する「技因子」(技ファクター)を見つけ、身につけていくとことではないかと考える。

従って、技とは技因子の集まったものと言うことになり、技因子は無限にあるだろうし、技因子のコンビネーションも無数にあるだろうから。技を完全に会得するのは難しいといえよう。

合気道の技の練磨は入門者がすぐできるものではない。なぜならば、技の練磨に入る前にやらなければならないことがあるからである。

先ずやることは、合気道の体をつくることである。鍛錬に耐える強い心臓や肺をつくり、多少の攻めにも堪えられるような関節や筋肉をつくり、息が乱れないように息と動きが合う体をつくらなければならない。

かつては合気道に入門できたのは、柔剣道の有段者であったと聞く。そういう方々は技の鍛練に入る準備が出来ていた。つまり、体がすでに出来ており、武道の業(動きや体の遣い方)も身につけていた人を選んで入門させたということであろう。

合気道の体が出来て、基本技の型を覚えたところが、「初段」ということなのだろう。そして、ここから技の鍛錬を始めることが出来るようになる。しかし、技を練磨するといっても、技とは何か、練磨する目標は何かを明確にしないと、技の練磨は出来ないし、合気道の稽古にはならない。

まず、技であるが、基本技の型のアウトラインは誰でも分かるはずなので、それを正確な型にして、身につけることである。正確というのは、多くもなく少なくもない自然な動きであり、形ということで、無駄のない美しさと強さを持つ。無駄な動きを省き、必要な動きを加えていくことである。

技とは、英語で言う「テクニック」である。力を最大限効率的に遣うための五体や呼吸やこころを遣う術である。例えば、手先を十字(直角)に返すことによって相手の力を抜いたり、崩したりする。十字に手や五体を遣うというのは、術であり技である。また、相手をくっつけてしまう五体の遣い方や息遣い、相手を浮き上がらせてしまう五体、左右の遣い方等も、術であり技である。四方投げ一つにも、多くの技があるわけだが、これらの技を紛らわしいので「技因子」ということにしている。この「技因子」を見つけ、身につけていくことが技の鍛錬と考える。

次に、技を練磨する目標であるが、スポーツのように敵をいかにうまく倒すかということではない。合気道の技の練磨の最終的な目標は、我々の手が届きそうもないような遠いところにある。開祖は、「宇宙と一体になる」ことだと言われているが、我々未熟者が鍛練で目指す目標としては遠すぎる。まず、もっと身近な目標から考えなければならないだろう。

そこで、私の考える技の鍛錬の目標は、より無理のない自然な技遣いをすることである。ぶつからない、相手が喜んでついてくる、相手が自ら倒れてくれるような争いのない技遣い、ということである。そして、最終的には、宇宙の運行が形になった技の練磨を通して、宇宙を感じ、宇宙と一体になることである。