【第176回】 感じる

合気道の上達は、主に技の練磨を通してであるが、これが中々思うようにはいかないものである。その最大の理由は、合気道の世界は日常の世界とは違う処にあることである。そして、そのことに気が付かないことであり、気が付いても、日常の世界から抜け出されず、日常世界のやり方で稽古してしまうからである。

合気道は相対稽古の方式をとるが、稽古相手を技を掛け、倒す対象として見てしまい、場合によっては敵として対処してしまう。これは、これまで競争原理で勝ち残ったものが生き残ってきたという、人類の歴史にある今日の日常世界の陰を引きずっており、それからなかなか脱皮できないことによる、といえるだろう。

相対稽古の相手は敵ではなく、言うなれば自分の分身であるということができるだろう。技は自分と相手が結ばなければならないので、必ず二人が一人となることである。二人が一人になるから、自由に動くことができるし、技もできるのである。

このためには、先ず自分を感じなければならない。自分の体を感じ、手先と腰腹の連結、足や腰から手先への力の流れなどを感じるのである。

次に、相手を感じることである。相手から来る力、こちらから送りこむ力の流れと作用などを感じるのである。相手は自分と結びついているわけだから、自分の分身でもあるので、自分の体と同じように感じることが出来るはずである。

三つ目に感じなければならないのは、「自然」ということである。これは、拍子、螺旋の動き、十字、呼気と吸気の呼吸、緩みと締まり、陰と陽、表と裏等などである。「自然」を感じ、それを技に採り入れていくことが上達であることがわかってくるだろうし、「自然」に反したことをすれば技は上手くいかないこともわかるだろう。

「自然」とは無駄のないこと。真善美や真の強さを有するものである。「自然」は宇宙の生成化育の使命の宇宙法則であるといえよう。

従って、「自然」を十分感じることが出来るようになれば、宇宙を感じることが出来るようになるのではないだろうか。そして、宇宙を感じることが出来るようになれば、開祖の境地の合気道が出来るようになるのではないかと考える。相手を投げて満足しないで、感じる稽古をしたいものである。