【第165回】 基本こそ極意なり

合気道に入門すると、技の形を覚えていく。基本技を繰り返し稽古して体にしみ込ませていくのである。はじめは指導者が示してくれた技が何なのか、目を凝らしても見えないし、自分でやろうとしても頭が真っ白になり、体が動かないだろう。だが、繰り返して稽古をしている内に、指導者の示した技が何であるのか分かり、自分でもその技が再現できるようになってくる。

誰でもはじめにやる技は、一教、四方投げ、入り身投げであろう。この基本技を相半身、逆半身、片手取り、正面打ち、立ち技、座り技などの組み合わせで身につけていくのである。

この三つの基本技がある程度できるようになると、二教、小手返し、回転投げなど他の基本技に拡大し、取りも両手取り、胸どり、肩取り、後取り、突きなど、また掛ける方も二人掛けや三人掛けと拡大していく。そして、技を覚え、技の数を増やし、取りや掛けを増やすのが、稽古の次の目標になるようだ。

しかし、この段階ではまだ技の形を覚えているものの、本格的な技の修練の段階には入っていない。その証拠に、この段階では技を掛けても、相手は余り倒れないはずである。何故ならば、それは技の形をなぞった形だけで、まだ、技にはなっていないからである。

まず、そのことに気がつかなければならない。もちろん技の形を覚えることは不可欠であり大事である。しっかりと技の形を体で覚え、形に自分を入れていかなければならない。それが出来てはじめて、次の技を磨いていくスタートに立つのである。

道場で相対稽古で技を掛け合う稽古をしても、いつも上手くいくとはかぎらないはずである。相手が受けを取ってくれたり、力不足なら相手は容易に倒れてくれるが、基本的にはそう簡単に倒れるものではない。少なくとも稽古はそう考えてやらなければならない。相手が倒れるという前提で稽古をしても得るものはないし、相手が倒れないと相手が悪いと思ったりしてしまうことにもなる。

失敗したら、何が悪かったのか、どこをどう直せばよいのか考え、その解答を探し、試していかなければならない。失敗をそのままにしていれば、また同じ失敗をするはずであり、そこには進歩がない。しかし、初めのうちは順調にいくようだが、だんだん問題が大きくなり、その解決も難しくなってくるものだ。

解決の難しい問題は、人によって違うだろうが、その問題を解決する方法は同じではないかと思う。それは、「基本にもどる」ことである。行き詰ったら基本にもどればよい。一教、四方投げ、入り身投げをやり直してみるのである。以前の一教、四方投げ、入り身投げは、形を覚えることが主だったので、技ではなかったことがわかるだろう。

また、基本技には合気道の技に共通する大事な要素があることがわかるだろうし、技を遣うに必要な合気道の体も出来てくる。一教、四方投げ、入り身投げが十分に出来るまで稽古をしなければならない。この一教、四方投げ、入り身投げができれば、その程度に他の技もできるようになるはずである。

一教、四方投げ、入り身投げが出来、他の技もできるようになったと思う頃、さらなる問題にぶつかり、行き詰ることになろう。例えば、誰でも悩む技の一つに「小手返し」がある。この技は相当の高段者でも難しいものである。

この「小手返し」が上手くなる極意は、「一教」にあるはずである。「小手返し」で行き詰ったら、一教に戻ることである。一教ができる程度に、「小手返し」が出来るようになるはずである。

「二教小手まわし」の極意も一教といえよう。つまり基本中の基本技は「一教」といえよう。

従って、合気道は「一教」から始まって「一教」に終わるということになるだろう。基本中の基本こそ、極意であるはずだ。