【第158回】 止まらない

合気道で技を掛けるのは、相手を倒すことが目的ではないが、技をかけて相手が倒れなければ下手か力不足ということになり、一層の修行が必要ということになる。いつも言うように、合気道は、プロセスの結果として相手が倒れるようにならなければならないのである。

しかし、これは容易なことではない。相手を投げたり、抑えることを目的として技を掛ける方が具体的だし、分かり易く、やり易いだろう。それに、人間の闘争本能も働かせ易い。しかし、これは合気道の行く道ではない。争うことが目的ではないからである。

争わないで相手を倒すというのは、簡単ではない。日常生活にはないことで、恐らく合気道の思想、哲学にしかないだろう。

まず、「争わない」という合気道の思想であるが、相手がいるのに、その相手を争わないためには、相手と一体化することである。1+1=1となれば、一つになった1の自由になるから、争う必要がなくなるわけである。もちろん、1になるためには、「わざ」と力が要る。(第142回第148回に書いたので、それを見て稽古することをお勧めする)

次に、「争わない」ための「わざ」遣いであるが、技と業の「わざ」を遣うにあたって、次の3つを止(と)めないことである。もちろん、「争わない」ためにはまだまだいろいろな要因があるから、この3つを止(と)めないということは、十分条件ではなく、必要条件である。

一つ目は、「動き」である。「わざ」(技と業)といってもいい。「動き」を止めないことである。技を掛けるために動きはじめたら、技をおさめるまで決してその「動き」を止めない。一瞬でも止まれば、相手は活き返って、無意識の内に反抗してくるので、ここで争いが起こることになる。「動き」「わざ」(技と業)は止めないことでる。

二つ目は「呼吸」「息」を止めないことである。相手と接するまでは息を吐き、接してから相手を離したり崩す寸前までは息を吸い続け、離したり投げたり決める瞬間に吐くという呼吸を、止めたり、乱すことなく遣わなければならない。息の乱れは体や技に隙をつくり、無意識に相手の争う心を起こさせてしまうことになる。初心者は動きに合わせて呼吸をするので、息が切れ易い。動きが切れているからである。上手は呼吸に合わせて動くものである。止まらない呼吸は、止まらない動きをつくる。

三つ目は気持ちを止めないことである。気持ちと、心、意識ともいうことができるだろう。合気道で技を掛けるに際して、先ず大事なのは、「気の体当たり」と言われるように、相手に気持ちをぶっつけ、体を入身、転換で遣っていくが、体の動きは動かそうという気持ちによってできるので、強い気持ちを持つことと、その気持ちを切らずに最後まで持ち続けることである。気持ちが止まれば、体はどう動いていいか分からなくなって、体は止まるし、呼吸も止まる。気持ちが止まるには、いろいろな理由があるだろう。例えば、「わざ」に集中できない、相手に吸収されてしまう、相手を掴んだり、掴まれている手などを見てしまう。すると、そこに気持ちが滞ってしまうのである。

この三つの内で、三つ目の気持ちを止めないが、一番難しいかもしれない。相手がいるのだから、その相手から自由になるのは容易でないのである。しかし心は本来は無限に自由であるはずだ。それを萎縮させたり、止めてしまうのは自分自身である。これは、自分の努力と稽古で、自由に出来るようになるはずである。自由になれば、動き、呼吸も止めることなく出来るようになるだろう。