【第153回】 点と線

初心者の時期の稽古は、「点の稽古」と言えるだろう。そして、また受動的な稽古時期であるとも言える。この時期の稽古は、運や偶然や指導者など、他人に依存することが大きい。どんな指導者に会えるか、指導者との相性、その指導者の得意技、好きな技、合気道観、人生観などに、大きく影響されてしまう。自分の意思では決められないものであり、専ら受動的な稽古となる。

初心者の時期の稽古は、先にあるものが予想できない、偶然の連続とも言えるようだ。初心者というのは点的稽古をしているといえる。

自身の好きな技はよく稽古するので、得意技を持つことになる。それが点となる。初心者の時期には、「点」を少しでも多くつくることが、大事である。「点」には大きなもの、小さいもの、中ぐらいのものなどいろいろあるだろうが、「点」を少しでも大きくすること、そしてその「点」を少しでも多くもつことが大事であろう。「点」の質と量を拡大する時期と言えるだろう。

初心者を、言葉を換えて言えば、白帯と言えよう。その対称が黒帯であり有段者である。初心者(白帯)が点的稽古をするのに対し、有段者(黒帯)は線的稽古をするということになる。線とは、道でもある。道とは合気の道である。この道を弛まず進み続けることである。

これまでの点を線に結びつけ、道に取り込んでいくのである。勿論、黒帯になっても点的な稽古も続くであろう。師範や指導者に指摘された癖やアドバイスを研究すべく、点的な稽古はいつまでも必要であろう。ただ点的時期の稽古と違うのは、それも道につなげるべく、能動的にやることであり、道を極めるために必要と信じて、主体的にやることである。点的時期のように、他人から影響を受けて受動的にやるのではなく、また他人を意識した相対的なものでもなく、自分との絶対的な戦いとなる。

点の時期は、得意なものをつくればよかった。不得意なものはやらなくても、逃げても、なんとかできるが、線的時期、道に入れば、それは許されない。得意な技は更に上手くなるようにするとともに、不得意なものを不得意でなくしなければならない。そうしないと、道を進めないからである。不得意なものが道をブロックし、前進を阻むからである。なぜならば、出来ないとか不得意ということは、すべての「わざ」(業と技)に共通する問題なので、一つが出来ないことは万、すべてが出来ないことになるからである。

これまでやってきたこと(点)が、今と多くの線で繋がり、今がまた未来と沢山の新しい線で繋がれば、道ができてくる。その道を進めばよい。点を線に繋げ道をつくり、その道を進もう。