【第147回】 癖を取るのも重要な稽古

合気道の技(型)はそれほど多いものではない。真面目に稽古に通っていれば2、3年で覚えてしまうだろう。この期間は、新しい技の型を覚えたり、出来るようになるのがうれしくて、それが稽古の励みになっているといってもいいだろう。しかし、この期間が過ぎても、まだ新しいことだけに期待していては、進歩が止まってしまうだろう。

大体において、稽古は新しいことを覚え、出来なかったことを出来るようにすればよいと考えている人が多い。しかし、新しいことを覚え、出来なかったことを出来るようにしても、多くの場合、進歩は止まってしまうようである。その最大の原因は自分の「癖」(くせ)である。「癖」が先への上達の足を引っ張るのである。それまでの上達にはそれほど妨げにならなかったり、逆に上達の原動力になってきた「癖」が、今度は災いするのである。

自分の「癖」を取り除くことも大事な稽古である。否、ある段階からは、新しいことを覚えるよりも、「癖」を取り除く方が大事であると考える。しかし、長年身につけてきた「癖」を取り除くのは容易ではない。何故ならば、それまでは自分の長所ともなっていた「癖」なので、どうしても自分の才能とか、強さと思う込みがちで、悪い「癖」として中々自覚できないからである。それが分かるためには、よい指導者に指摘されるのがいいのだろうが、武道の修行は基本的に一人で行なう孤独なものであるから、自分で自覚してその「癖」を直していくほかない。そのためには自分自身が、自分を指導する自分のよい指導者にならなければならない。その指導者の目をもって、自分の「癖」を見つけ出し、直していくのである。特に、基本技を繰り返しやり、技の型に自分を入れていき、型からはみ出さないようにするのがよい。

「癖」を見つける指導者の目を持つためには、開祖や開祖の高弟の書かれたものや、写真、ビデオ、また国宝級の美術品、骨董品、お能や、舞伎、舞踊、オペラ、コンサートなどをよく見て、研究し、目を肥やし、レベルアップすることであろう。これらの分野のすべての名人、達人、上手は、はじめに「癖」を取り去り、基本を十分やった後に、個性を発揮して大成したはずである。「癖」で大成した人はいないはずである。

「癖」で固まれば、道を進めなくて、小さく固まってしまう。他人は真似出来ず自分一代で終わってしまう。人は前世代と次世代の架け橋になる使命を負っているので、その代で終わってしまうのは寂しいかぎりである。「癖」を取って、次世代に継承できるように、宇宙万有生成化育の理に適った稽古をしていきたいものである。