【第131回】 稽古とは

稽古は上手くなるため、上達するためであり、閉ざされている扉を開けて新しいことを知り、レベルアップしていくことであろう。ただ稽古を続けていれば上達し、レベルアップするというものではない。稽古ではやるべきことがあるようである。

稽古とは「古(いにしえ)を見る」ということである。「古を見る」とは、合気道なら、合気道をつくられた開祖のこころを少しでも多く理解するよう努めることである。つまり開祖はどのような状況のもとで、何を目的に、何のために合気道をつくられたのか。そのための技にどんな意味があり、その技をどのように遣っていかなければならないのか等を知るよう、稽古することである。合気道の根本理念が分からなければ、柔術やスポーツと合気道の区別もつかず、合気道が目指す目的と方向を見失うことになり、合気道の上達は止まってしまうのではないか。

次に大切なことは、道を見つけることである。合気道は一つの宇宙に繋がる大道であるが、この大道には多くの道が繋がっており、この大道に入るには多くの道を踏み分けて来なければならない。人体で言えば、毛細血管のようなものと言える。この大道に繋がる道を見つけるのである。中道、小道、細道など多くの道があるはずである。

例えば、「天之浮橋に立たなければならない」「合気道は十字道である」、「手足を連動して陰陽に遣う」「技を掛けるときは体の表を遣う」、「相手に接している部位を始に動かさない」「相手の領域で技を掛けない」等々は中道、小道、細道と言えるだろう。このような道はおそらく無限にあると思われるので、一生かかってもすべて見つけることはできないだろう。ただ少しでも多くの「道」を見つけるだけである。この「道」を見つけていくこと、これが第二の稽古といえるだろう。

稽古の三つ目は、見つけた「道」を前進したり、行きつもどりつを繰り返して稽古し、その道を通りやすく、立派な道にレベルアップすることである。「道」を見つけるのもそう簡単ではないが、その「道」を自分のものにするのも大変である。何度も何度も、場合によっては数年かけて稽古を繰り返さなければならないこともある。「道」を見つけて、その「道」を反復練習する稽古は意味があるし、反復練習は必要である。しかし「道」にないか、「道」にはずれたところでの反復稽古は意味がないだけではなく、体を壊すことにもなり兼ねず、危険である。反復稽古は道を見つけて、道の上でやらなければならない。

ただ漠然と体を動かすのが稽古ではない。「古を見て」、」「道を見つけ」、「道をならす」ことをしていかなければならない。稽古を疎かにしてはならない。