【第13回】 食

私が合気道をはじめた昭和37頃の本部道場では、今よりずっと少ない稽古人しかいなかったが、みんな何かをやってそれに飽き足らず合気道に来た人が大半だった。つまり、空手や柔道や剣道の武道、スポーツ、様々な宗教、健康法などをやってきた人たちである。
当時は初心者稽古や一般稽古に分かれていなかったので、初日から有段者のいる一般稽古でやったのである。お陰でいろいろな先輩と稽古ができただけでなく、休み時間や道場の外で先輩たちの武勇伝や鍛錬法などを聞くことができた。 その内の一つに、食事療法というのがあった。当時はまだ学生だったので経済的なゆとりもなかったこともあるが、食べるという行為には関心があった。食べるということはどういうことなのか。何をどう食べるのがいいのか。何を食べてはいけないのか。それはどうしてなのかなどである。

道場には食事療法をやっている桜沢式食事療法を実践している人が何人かいたので、話を聞いたり、月例会などに連れて行ってもらって勉強をした。月例会には、本部で教えておられた師範も幹部として居られたので、これは偽ものではあるまいと考えた。
当時私が理解した桜沢式の基本的な考え方は、「体を中性の状態に保つため、食べるものは果物なら皮からすべて、野菜は根っこから葉っぱ茎まで、魚なら頭から尻尾まで(一匹まるまる食べられないものは食べるな)、米なら精米せずに玄米ですべて食べること。自分の生活しているところで採れたものを食べること。食べ物にも陰陽がある。例えば、魚なら頭の部分は陽、尻尾は陰であり、野菜は根っこが陰、葉っぱは陽となる。また、陰性や陽性の強い食べ物もあるので自分が陰性のときは陽のものを採って中性にする。また、水は食べ物に含まれているのでよく噛んで食べれば飲む必要がない。食事は玄米を中心に一日2回、一回7斥。」ということであった。

これと正反対な健康法が西式健康法である。桜沢式とは対象的に一日1升の水を飲んで体をきれいにするというのだった。先輩から話を聞いて、これは私向きではないと思い道場にはいかなかった。

桜沢式は金がかからないこともあったし、この考え方が面白かったので1〜2年ほど続けた。何をどう食べればいいのかに対して、いろいろやってみたが、この最後の方で考え出した珍論は、「最高に栄養のあるものを最小限食べるべし」で、赤ん坊の飲む粉ミルクを水に溶かして黒パンで食べることだった。しかし、学校にいったり、稽古をするには、腹が減り、エネルギー不足で無理だったので、あまり続かなかった。

食事療法にしても全く正反対なものがあったということが分かってきた。勿論、どちらも間違いではないし、どちらも素晴らしい思想をもっている。しかし、大事なことは自分に合ったものを選ぶことであるということであると悟った。私の場合は、水分をとり過ぎると下痢をしてしまう体質なので桜沢式の方が合っているし、肥満タイプの人には西式に合っているのではないかと考えた。

当時は稽古中は喉が渇いても水を飲むなといわれていたが、今は水分をなるべく沢山摂れといわれる。時代が変わればかつての理論も変わらざるを得ないのであろう。

当時はかなりの稽古人が玄米食をとっており、開祖も玄米食をとられていた。一度、休み時間に玄米食の話を先輩や稽古仲間と話していると開祖が来られ、玄米食もいいが、やはり白米の方がうまいと言われたこともあった。 だれでも一度は、毎日食べている「食」について考えてみるとよい。食べることにも哲学、思想があっていいのではないか。われわれが生きるということは、殺すことでもある。一食食べる毎に多くのものを殺して食べている。野菜、魚、肉など等。イクラやシラスなどは何千何万も殺して食べたことになる。

食に対する自分の考えを持っていないと、まやかしや見かけだけの食べ物が横行するようになる。見かけだけよければよいという物もあるが、そんな物を食べ続けると、人間まで見かけだけよければいいと思うようになりはしないか。そうなればその人の合気道もそういうものになってしまうだろう。 食べることを、一度考えてみよう。