【第108回】 慣れでやらない

合気道は主に基本の技の形を繰り返し々々稽古する。四方投げなど何万回も何十万回もやっているはずである。合気道をはじめた頃は、先生が何の技をやっているのか、手足をどう動かせばいいのか分からず、受身を取りながら相手の動きを観察し、それを真似してやっていたものだ。動きが分かると、それを繰り返し稽古をして、技にだんだん慣れていく。初めは沢山受身を取って、少しでも早く体を畳に慣らし、技に慣れるようにするのが大切である。

人は目で見て、頭で考えて、大脳から手足に指令を出すというのが通常の神経作用であるが、その動作を反復練習することによって、小脳からの神経が働くようになる。この小脳の神経作用により、考えて判断する必要なしに反射的に動くことができるようになる。頭で考えないでも出来るのが、慣れである。慣れれば稽古も楽になるので、早く慣れようとするし、そのうちに慣れでやろうとする。

しかし、慣れでやるのは危険もある。もし稽古でやっていること、例えば業(わざ、動き、体の使い方)が間違っていたとしたら、稽古をやればやるほど悪くなることになる。「わざ」(技と業)が上達しないだけではなく、体を痛めることにもなりかねない。膝が痛いとか、腰が痛いというのは、間違った慣れの稽古をしてきた結果といえるだろう。

稽古は出来ないことを出来るようにし、分からないことの解答を見つけ、新しい発見をすることである。そして、自分や宇宙が少しずつ分かってくるようになることである。そのためには意識を集中し、新しい発見とその試みをしなければならない。

新しい試みが正しいかどうかは、その時点では100%自信が持てないので迷いもある。また、人は自分にやり易い方に走りがちで、やり易い方に固守する傾向もある。だが、やり易い方に慣れてしまうと、後で取り返しがつかないことになってしまう。

稽古の不思議と言おうか、稽古の段階によってやり方は変わるし、場合によっては、前にやったやり方と逆のことをやらなければならないこともある。例えば、諸手取呼吸法でも木刀を振るにも、初めは力一杯やらなければならないが、高段者になって同じように腕力で力んでやっても上達はないし、体を痛めてしまうだろう。高段者になれば腕ではなく、その対照にある腰や脚、浅層筋ではなく深層筋、弾き飛ばす力ではなく引力のある呼吸力を使わなければならない。

稽古では常に新しい試みをしなければならないが、また常にそのやり方が正しいかどうかを考えることが大事である。よい指導者がいれば、正しいかどうかの判断や助言を貰えるだろうが、最後は自分自身の判断になるわけでる。

稽古は自分のやり易いような慣れでやらず、そのやり方が正しいのか、もっとよいやり方がないのか、常に研究と試行錯誤を繰り返していかなければならない。稽古はマンネリズムに陥らないようにしよう。