【第85回】 目と「脳の中のからだ」

武術において、目は重要だと昔からよく言われている。宮本武蔵の『五輪書』の中にも「兵法の目付と云事」の章があり、戦うときの目の使い方を書いている。剣道でも、敵の目を見ろとか、小手先を見ろとか、目の重要性がいろいろと言われている。

しかしながら、合気道では、開祖によれば、相手の目を見てはいけないことになっている。相手に気持ち(こころ)を吸収されてしまうからだという。この「相手の目を見ない」ことが昔の武術で可能であったかどうかは分からないが、試合のない、自己練磨の今の合気道では、それが一番いいのだろう。相手の目など見ているとそれに惑わされて、自分の使う技に相手がどのような変化や反応があるかとか、相手の使う「わざ」、手足の微妙な動きなどの感触が分からないことになり、相手から学ぶことや「わざ」を盗むこともできなくなってしまう。

自分が受身を取りながら相手の動きを見たり、または見取り稽古でひとの動きを観ると、実際に筋肉を活動させて体を動かしたと同じように「脳の中のからだ」(大脳皮質の中の運動野)が活動するという。最近の脳科学の研究で、他人の手先の動作に注目して観察したひとは、自分の手指の運動にかかわる大脳皮質の運動野を活動させ、運動スキルを「脳の中の体」で観察しているという。目で見ているだけでも、体を脳の中で動かしているということであるから、見て、実際に体を動かせば、既に体を動かして稽古したかのように、上手く体は動くはずだ。所謂、イメージトレーニングでもある。人には時間的、物理的などの理由からすべて自分で動いてやることことはできないので、いいものを少しでも多く見て、「脳の中の体」を鍛えるべきであろう。

人の動くのを見ると、自分の脳の中で運動が起きるわけだが、いいものを沢山見るだけでなく、見るところ、ポイントが重要になる。合気道の見取り稽古でも、初心者は先生や同輩の手の動きだけしか見ない人が多いが、上達してくると、見るところが違ってくる。つまり「目のつけどころ」が違ってくる。見るところが表面的なものではなく、例えば足づかいとか息づかい、肩の貫け方、背中の動き、あるいは、よくよく注意しないと見えないような体の奥の部分とか相手の"こころ"や気持ちなどになるのである。

合気道の稽古では、見取り稽古にせよ、または相手と組んでの稽古にせよ、大脳皮質の運動野を活性化させていくためには、目を鍛え、「目のつけどころ」のいい目をつくっていかなければならない。

参考資料: 「スポーツ選手なら知っておきたいからだのこと」(大修館書店)