【第664回】 手を名剣に鍛え、つかう

見取り稽古をしていて、最近特に気になる事のひとつに、技を掛ける側の手に力がこもっておらず、手と腰腹が繋がっていないまま、手だけを振りまわして技を掛けていることである。何故最近それが気になり出したかを考えると、手は名刀のようにつかわなければならないということが分かり、その鍛錬をしているからだろう。

手は切れ味のいい名刀のようにつかわなければ、力も出ないし、いい技もつかえないことは確かである。稽古をしていけば分かる、
名刀の手とは、折れ曲がらずに真っすぐな手、抑えられても打たれても耐えられる弾力性がある柔軟性のある手、一刀両断できるような切れ味がいい手、自在に動ける手等である。

しかしこのような名刀の手をつくるのは容易ではないだろう。その理由は、稽古を続けて行けば出来るようになるわけではないからである。理に叶った稽古や鍛錬をする必要があるのである。
「折れ曲がらずに真っすぐな手」をつくるとして、手先から肩まで突っ張っても、それは折れ曲がらないまっすぐの手とはならない。ちょっと強い力で打たれたり、抑えられれば、折れ曲がってしまうはずである。
「折れ曲がらずに真っすぐな手」をつくるためには、まず、手先から肩までの手を構成している部位をそれぞれ鍛えなければならない。手先(指、手の平・甲)、腕、上腕、肩・肩周辺をそれぞれ鍛えるのである。しかしこれらを一緒に手として鍛えようとしても、力などが分散してしまい、十分鍛える事ができないものである。

また、これらの部位に分かれる関節もそれぞれ鍛えなければならない。指、手首、肘、肩をそれぞれ鍛えるのである。しかし、これは合気道の技(形)の稽古にあり、誰もが稽古をしているものである。尚、最近は指を攻める(鍛える)技はほとんど見受けられなくなったが、過っては練習し、鍛錬していたものだ。例えば、力の無い女性の三教は、女性に相手の手の平・甲ではなく、指を掴んで抑えさせたし、また、護身術としても、指を攻めるのは有効だと教わった。

上記の体の部位や関節をそれぞれ鍛える上で大事な事は、一つは、各部位がそれぞれ独立独歩と自主性をもって鍛えることである。指なら指だけを一本ずつ鍛えていくのである。二つ目は、それらの各部位や関節を気で鍛える事である。これまでは息に合わせてやったが、息が先に出ると上手くいかない。まずは、気(気持ち)を出して、気によって力を入れていくのである。
三つ目は、気を十字につかう事である。例えば、手先(手の平・甲)を名刀の切っ先になるように鍛えるために、気を手先に流し、それに従って力を流す。これは気と力の縦の流れである。次に引き続き、手先をこの縦に対して横(手先の上下左右)に気を流す。ここで気と力が前と上下左右に流れる(膨らむ)が、この気と力は同時に腰腹に向かって流れ、腰腹と結びつく。縦の流れである。つまり、気と力は、縦、横、縦と十字に流れたわけである。
これで手先が名刀の切っ先になったわけであるが、腰腹と繋がっているので、その間にある腕、上腕にも気と力が流れ名刀になるのである。

これで名刀と腰腹が結び、腰腹で名刀がつかえるようになるのである。後は、刃筋が通り、名刀として働けるよう、法則に則って名刀をつかっていけばいい。

尚、以前、手(手先から肩)を一本の名刀の手や手先をつくるために、イクムスビの息でつくればいいと書いた。イーと息を吐きながら手先や手に力を出し、クーで息を引きながら手先や手に力一杯力を出し、そして息を吐きながら更に力を出すのである。これで真っすぐな折れ曲がらない名刀の手が出来る。
しかし、残念ながらこの名刀は技をつかうには限界があるようであり、言うなれば、お飾りの名刀ということになる。この名刀では、呼吸法をやっても、押したり引く力は強いが、腰腹の力が十分につかえないし、腰腹との繋がりも切れやすいのである。

それに引きかえて、今回の名刀はお飾りにもなるが、技の錬磨で十分活躍できる名刀である。多少強く持たれようが、相手の力に抑えられても折れ曲ったりしないだけでなく、相手を引っ付けてしまい、相手を浮かして、力を抜いてしまうものである。
諸手取の二人掛け、三人掛けはこれでやるほかないように思える。