【第631回】 剣にも体にも宇宙が入る

まだ合気道を始めて間もないころだったが、大先生がよく我々が稽古をしている道場に、突然お見えになり、技を示されたり、お話をされた。或る時、木刀を持たれて、内弟子相手に技を示されていたが、大先生は木刀をお持ちになり、この木刀の方が傍にいる内弟子より重いと言われたのである。われわれ若い稽古人達は、そんなことないだろうとか、どういうことなのか、と顔を見合わせたものだ。

この問題が頭の片隅にあって、これまでもやもやしていたのだが、最近、やっとその意味が分かって、そのもやもやが消えていった。

まず、大先生は常に、我々に大事な事を真剣に教えようとされていたことが、段々分かってきた。間違いはもちろん、無駄な事は言われなかったと確信する。この木刀が人より重いということも、何か大事な事を教えられようとしていたはずだと思う。

大先生は、「合気道の体得をしたならば、宇宙の条理が分かり、また、自己を知り、分ってくる。例えば、剣一本動かすにも自己が全部入り、宇宙と同化している(合気真髄 P86)」にそのヒントがあるだろう。
つまり、大先生が示された剣は、宇宙と同化し、宇宙が詰まっていたわけである。それに引きかえ、傍の内弟子は、修業中なのでまだ宇宙との一体化が出来ていないから、宇宙分の一の只のモノ(人)である。
宇宙と同化した剣とただのモノでは、剣の方が重いということになるわけである。

また、剣と宇宙が同化することが大事であるという事を、大先生は教えられているのである。剣に自己が全部入ることと、過去も未来も超越した時間が入り、宇宙の法則で働く空間を有し、宇宙の営みで自由自在に動かなければならないということである。

更に、剣を棒っ切れとしてではなく、宇宙と同化していると思って、人よりも重くなるようにつかわなければならないという教えである。
これはもちろん、精神世界、見えない世界においての稽古ということになる。

ここから更に、人の身体も剣と同様、宇宙との同化が必要ということになるはずである。宇宙の法則を身につけ、宇宙の営みで動けるようにするのである。
剣にも体にも宇宙が入らなければならいということである。