【第622回】 阿吽の呼吸で技をつかい体をつくる

合気道の技をつかうのは難しい。稽古を続ければ続けるほどその難しさが身に染みる。20,30年前の若い頃は、こんなものかと高をくくっていたが、何も知らなかったということである。
長年稽古をやってきて段々分かってくるわけだが、初心者の内は、技は効くものだという前提に相手に技を掛けているといえる。それが技は効かないモノという前提に立たなければ、効くような技にならないのである。つまり、効かないから、どうすれば効くようになるのかと研究することになるからである。技は効くものだと思って技を掛ければ、研究もしないし、上達もないことになる、あるのは相手が悪いのだと、技が効かない事を相手のせいにすることだけである。

合気道に入門すると、形稽古を繰り返し、基本の技の形を覚え、力をつけ、体をつくっていくことになる。力一杯技を掛け合い、受けを取り合うことによって、腕力や体力、気力が養成されるのである。この稽古は大事な稽古であり、この時期の稽古をどれだけ集中してやるかによって、力の付き方や体のでき方が違ってくるようだ。
しかし、この時期の稽古は誰でも問題なく続けることができるので、誰もが何も問題意識を持つことなく、稽古を続けていくことになるだろう。

しかし、力一杯の稽古を続けていると、ある段階からそれまで効いたと思っていた技が段々効かなくなってくることになり、驚きや困惑することになるはずである。自分が力を入れれば入れるほど、相手は頑張ってきて、思うようにならなくなり、技どころではなくなってしまうわけである。
そうなると誰もが、相手に頑張らせないで、技を何とか上手く掛けようとすることになる。ある者は、力負けしないように鍛錬棒などを振って力をつけたり、己が力を入れると相手も力を入れてくるのだから、力を入れない(力まない)で技を掛けてみたり、相手に力を入れては駄目だと口で言ったりして、相手に力を入れさせないようにしたりするのである。

ここまでは、これまでにも書いてきたことなので、目新しさはない。
今回は、相手とぶつかってしまう根本的な原因と、その解決法を研究したいと思う。

入門して20,30年は形稽古を力一杯やるわけだが、ここで養成される力は、絞り込む力、腰腹に集める力、押し付ける力と己の内に集中、収集する力であるといえよう。この力でも相対の稽古相手を制するのは出来ない事はないが、相手もそれと同等またはそれ以上の集中力があれば、相手に頑張られたり、弾き飛ばされることになる。このようにお互いがこの集中力で技を掛け合えば、魄の力による争いになってしまうわけである。

相手のこのような集中力に対して、この力を制し、吸収し、そして導くためには、この力と異質な力をつかわなければならないことになる。異質とはここでは正反対の力のことである。それは、己の腹から外に、拡がる、膨らむ、開く力である。
勿論、力は筋肉が動き、体の部位の働きによって出てくるわけだが、筋肉や体の部位は自身では動いてくれないし、働いてくれない。これらが動き、働いてくれるのは呼吸のお蔭である。呼吸によって動き、働いてくれるのである。

それ故、拡がる、膨らむ、開く力は呼吸によって出てくるわけだが、どのような呼吸をすればいいのかということになる。
結論から云えば、その呼吸とは「阿吽の呼吸」である。「阿吽の呼吸」によって、腹から気(エネルギー)が体中に膨らみ、それと同時に相手の力が密着し、相手の力とそして気持ちを導くことになるのである。ここで相手が頑張ろうという気持ちをなくしてしまい、争いはなくなるわけである。

「阿吽の呼吸」のつかい方やその感覚のつかみ方、それを身につける鍛錬法などがあるが、次回とする。