【第612回】 かかとの更なる働き

正面打ち一教を10年ほど研究している。研究しているとは。この正面打ち一教が実は非常に難しく、また、合気道の技として非常に重要であることがわかり、この技を会得すべく稽古を心機一転したということである。云うまでもなく、正面打ち一教も50年以上稽古している。
お陰で正面打ち一教の研究からいろいろ大事な事がわかってきた。そしてこの正面打ち一教は、合気道の極意技であるとも確信するのである。つまり、この極意技が出来る程度に、他の技の形もできるようになるということである。
研究とは、合気道の技の形稽古を通して、法則を見つけ、その法則による身体をつかい、その法則をすべての技に取り入れ、そして己の身心に取り入れていくことであると考える。

さて、正面打ち一教である。これまで得た法則、足、手の陰陽、手、足、腰の十字等でこの技をつかうが、まだ相手は思うように倒れてくれないのである。勿論、倒そうとすれば、大体は倒すことができるが、それは腕力や勢いであるので満足できない、不完全なものである。

無限の法則があるだろうし、その無限の法則の100%を身につけることはできないが、この内には不可欠の法則があるだろう。そしてその不可欠の法則を身につけられれば、ある程度上手く出来るのではないかと考える。
この不可欠の法則が欠けていれば、技は効かないし、己も相手も満足できない事になるわけだが、100%でなくとも、不可欠の法則で正面打ち一教を掛ければ、相手は倒れるものと考えるのである。

最近やっと納得できる正面打ち一教がちょっとできるようになったようだ。他人はどう見るかは知らないが、自分自身が納得すればそれでいいだろう。それに、受けを取ってくれている相手も不満はないようになったようなのである。

どうして正面打ち一教が突然進化したのかというと、今まで掛けていた不可欠の法則の一つが身に着き、加わったということだろう。
その新たに加わった不可欠の法則とは、手を踵で前に出したり、上に上げることである。

出来てしまうと、何も不思議でないし、何故こんなことが分からずに悩んでいたものか飽きれてしまう。これまでにもいろいろな発見をしてきているわけだが、いつもこの繰り返しである。

手と踵の関係である。以前から、前に進む際は踵から歩を進めなければならないと書いている。が、余り深く考えないできていた。しかし、ここに来て、踵から進まないと正面打ち一教は上手く出来ない事がわかったのである。

正面打ち一教は相手の打ってくる手をこちらの手(手刀)で受けるが、一度ぶつかることになる。ぶつかってそのまま腕力で押し倒すこともできるが、初心者は力がつくからいいとしても、上級者はここからぶつからないように技と体をつかわなければならないと思う。

どうするかというと、まず、合気道の掟、「ぶつかってぶつからない」である。相手のどんなに強烈に打ってくる手でも、手刀で受け止めたら、その接点を離さないで、上に上げるのである。相手が打ってくる上から働いている力を、横(刃筋を立てる)、そして上への縦に変えてしまうのである。

しかし、手を上げるのだが、手で上げては駄目なのである。それでは相手は安定したままで、浮き上がってこないのである。
相手の手と体を上げるには、踵(かかと)から地に着き、そして踵から爪先に体重が移動するのである。息は引く息である。これで己の手と相手が浮き上がってくるのである。

引く息で、踵から爪先に体重が移動すると手は腰腹と結んで自然に上がってくる。正面打ち一教だけではなく、横面打ちでも同じだし、また、片手取りで相手に手を取らせるために上げる手も同じようである。手を相手に掴ませるために手を上げる際、初心者は先に手を動かしてあげてしまうものである。腰腹との繋がりがなく、手と腰腹がばらばらなので、その手には体全体の力が相手に伝わらないし、そして相手をくっつけてしまう引力も生まれない。

尚、相手に掴ませるために手を出す際は、己の手先と腰腹をしっかり結び、手を先に動かすのではなく、腰腹を前に進めて、相手にこちらの手を掴ませるのである。そして腰腹を前に進めるために、やはり自分の体重を踵から爪先に移動するのである。