【第603回】 武は体の変化の極まりなき道

合気道は形稽古を通して技を錬磨しながら精進する武道である。その錬磨する技は宇宙の営みを形にしたものであり、宇宙の法則に則ったものである。
しかしながら、技はあるがないのである。開祖や何人かの先人は合気道の技を会得され、お出来になったわけだが、その技は形として残っていない。技はあるがないのである。あるのはその名人・達人たちの技のイメージであり、従って人によってとらえ方は違う。

技を身につけるための形(かた)はある。これを形稽古という。一教や四方投げの形を通して、技を身につけていくのである。形稽古を通して、技を練り、身に着けていくのが合気道の精進ということになる。
また、技は宇宙の営みの法則に則っているから、技をつかう体も宇宙の法則に則ってつかわなければならない。法則に一致していない技は効かないし、体を痛めることになる。

人の五体は「宇宙の創造した凝体身魂である」といわれる。人の体は、宇宙の心を持ち、宇宙の働きをする小宇宙ということになる。
従って、体は宇宙生成化育ために働こうとするし、陰陽・十字など宇宙の営み・法則に則って働く。

技は体をつかって掛け、そして練る。技は体を如何につかうかによって良し悪しの結果が変わってくる。精妙な技をつかうためには、体の妙用が重要になる。また、体の妙用にはこれでいいという終わりはない。体は変化させていかなければならないのである。変化とはよりよく変わっていくことである。
これを開祖は、「武は体の変化の極まりなき栄えの道」であるといわれているのである。

武(合気道)は、体が変化していくことによって極まりなく栄える道であるのである。
体の変化とは、体を細分化してつかうこと、より機能するようにすることであろう。例えば、手を手首から先の手、腕、上腕、肩に分けてつかえるようにし、そしてその各部がよりよく働くようにすることである。更に手首から先の手にあるそれぞれの指が働くようにし、各々の指が折れない、力に屈しないしっかりした指にしていく。そして今度は、指を各関節ごとに鍛えていく等‥ということになり、これを極まりなく続けるわけである。

体の変化を続けて行くのに重要な事は、体との対話である。変化して欲しい体の部位と対話することである。丈夫になってくれとか、柔軟になって欲しいとか、そこに気持ちを伝えるのです。そこから、それでは弱すぎるので、もっと強く押してくれとか、痛すぎるのでもう少し力を抜いてくれといってくるだろうから、それに応え、こちらの希望を入れて貰うのである。

そして、この体との対話での仲立ちである通訳は息(呼吸)である。呼吸に合わせて体と対話をしなければ、体はこちらの意図が理解できず、言うことを聞いてくれないから、体の変化は難しいことになる。

武、合気の道を進むなら、体を極まりなく、これでいいということでなく、いつまでも鍛えていかなければならない。