この論文も今回で600回になるが、自分の合気道は、まだまだだと思うばかりである。習い事には、これでいいという終わりはないというが、確かに合気道にも終わりはない。
ここ数年、否、数十年にわたって、正面打ち一教を研究しているが、少しずつは前進しているのは確かだが、まだまだ分からない、出来ない事の方が多い。
正面打ち一教は、合気道の極意技と考えており、諸手取呼吸法と同様、この極意技が出来る程度にしか他の技もつかえないと考える。
この極意技の正面打ち一教を、どのように稽古をし、どのような技、体づかい、息づかい、動作の軌跡や形(かたち)になればいいのかを探究しているわけだが、それがまだ十分にわからないし、出来ないわけである。
大先生をはじめ、合気道の先生方は、合気道の基本の形を教えて下さったが、目に見えない技、息づかい、体づかいなどはほとんど教えてくださらなかった。というより、教える事ができなかったといった方がいいだろう。何故なら、形は誰にでも教えることはできるが、技は稽古人がそのレベルに達していなければ、教えることはできないからである。だから昔の柔術などは、そのレベルに合わせた個人稽古でしかそれを教えなかったわけであり、今のような大勢に教える学校方式の稽古ではなかったのであろう。
従って、正面打ち一教の技づかい等は、己で研鑽しなければならなければならないことになる。そこで問題になるのは、どのように、何を目標に研鑽すればいいのかということになる。
しかし、有難い事には、まず、正面打ち一教の形は、大先生をはじめ、諸先生方は示して下さっている。この形の中には技がつまっているわけだから、自分がこれだと思う先生の形をイメージし、それに少しでも近づくように、その形の中に見えないものを見つけながら稽古をすればいいだろう。
私の目標とする正面打ち一教の理想的なイメージは、有川定輝先生である。
まだまだ万分の一も真似することはできないが、学ばなければならない大事な事が沢山ある。
勿論、有川先生も細かな説明はされなかったが、形で示して下さっているので、そこから見えないものを読み取っていくことになる。