【第592回】 息づかいと体の変化

前回は「息づかいで体をつくる」を書いたが、今回はその論文を踏まえて書く。
前回、体づくりは技づかいと同様にイクムスビの息づかいでやらなければならないと書いたが、今回は何故、イクムスビの息づかいでやらなければならないのか、またはやった方がいいのかを説明してみたいと思う。

イクムスビは昔から日本の行者がつかった息づかいと言われており、長く続いて今でもつかわれているのには、それ相応の理由があるはずである。例えば、強力な力、超人的な力、神秘的な何かが出たりするはずである。

私自身はイクムスビの息づかいで、まだまだそのような力を出すことはできないが、これまでこの息づかいから得た力と体の変化を書いてみる。

先ず、イクムスビの「イー」である。イーと息を軽く吐いて相手と接するのだが、このイーによって、相手と一体化してしまうことである。相手と自分が一つになり、二人が一人になってしまうのである。相手が離れようとしても中々離れないし、しかも離れようと思わなくなってしまうようだ。
更に面白いのは、一寸接している二人の接点に、こちらの全体重が掛かっているのである。しかし相手はそれを意識できないのである。
このイクムスビのイーの息づかいをしっかりしなければ、相手と一体化はできず、相手は思うように頑張ったり、逃げたりするので、後は力で押さえつけることになり、それが争いになるのである。

次に、クーである。クーと息を入れる(吸う)が、クーと息を入れると、己の腹と胸が膨らみ、気(エネルギー)で満ちてくる。気は腹・胸から外に放射し、持たせている手は開き切り、膨張し、手から強力な気が出る。
すると手を掴んでいる相手は、その手を無意識のうちに引っ張ってくるので、相手の手と体は突っ張り、相手と更に一体化する。
坐技呼吸法はこの息づかいでやらないと、相手と一体化できず、押したり引いたりと腕力をつかわなければならなくなってしまうはずである。

後は、ムーで相手を自由に導いたり、投げたり抑えればいい。吸った四角の息を、丸く収めるのである。腹に気と息と力を収納するということになるだろう。