【第576回】 引く息で足と手を強靭に

相対での形稽古で技をつかう際、ただ形をなぞって力でやっても技は効かない。技が効くためにはいろいろな要素とそのつかい方がある。理合いがあり法則があるのである。技は理合いと法則で掛けていかなければならないのである。

まずは何よりも、理合いと法則があることを自覚しなければならない。理合いと法則があるのは確実なのだが、それを学び自覚するのは難しいだろう。何故なら、それを教えられているのは、今のところ恐らく開祖だけであると思うが、その開祖は既に我々の世界には居られないわけで、教えを直接乞うことはできないし、他の教えはないようであるからである。
だが有難いことに、開祖は『武産合気』や『合気神髄』などにそれを残されておられるので、これらの聖典を熟読し、理合いと法則があることを確認し、そしてそれを自覚して技で練っていけばいいだろう。

聖典を読み、技の稽古を続けてくると、これまで40年、50年やってきたにもかかわらず、合気道をほとんど解らずに、ただ形をなぞり、腕力と勢いで形稽古をしてきたことがわかってくるのである。極端に言えば、理合いと法則に反する、真逆な稽古をしてきたわけである。
例えば、体の中心の腰腹から、足→手と体をつかわなければならないところを、手→足→腰腹とつかっていたのである。また、息のつかい方も、息を入れて相手と結んで一体化するところを、息を吐いて相手を倒そうとしていたのである。

勿論、これまでの稽古は間違いでもなく、不必要な稽古でもない。この初めの手→足→腰腹の体のつかい方の稽古も意味があり、この稽古も十分にやらなければならないと考える。何故ならば、手を先につかうということは、手に力がつくということであり、手の働きがよくなるからである。手を先に動かすのに息を吐いてつかえば、更に手先が強靭になるのである。
ただ、手や息のつかい方をこのまま続けては駄目で、先述のようにそれまでと逆転させなければならないということなのである。そうしなければ技が上達しないばかりでなく、体を壊すことになるからである。

しかしながら、この体の中心の腰腹から、足→手と体をつかう稽古を続けていればいいというわけでもない。また、息を入れて相手と結んで一体化すればいいだけでもない。この段階でも、体や息づかいがこれで完璧ということはなく、更なる精進と進化が必要になる。合気道の修業にこれでいいという終わりはないということである。

腰腹から、足→手と体をつかって技をつかっていくと、腰腹はどんどん強靭になり、十字や柔軟に機能していくようになるが、反面、手と足の鍛練が難しくなるのである。体の中心の腰腹に力が集中すれば、末端の手と足にはその腰腹の力が集まり難くなるのである。

そこで手と足に、腰腹の力やそれに匹敵する力を集めなければならないことになる。ふにゃふにゃの手や足では技は効かないから、力と気が満ちる手と足にあいなければならない。

この感覚がよくわかるのは、正面打ち一教の素振りの打ち込みである。先ず息をちょっと吐いて手先と腰腹を結び、そして息を入れながら手を上に振り上げ、胸を開き肩を貫き、更に上に上げるが、この時、地に着いている足(脚)と手に気と力が満ち、強靭な足と手ができるのである。慣れてくれば、地に着いている足には地からの力が加わり、上下の力、摩擦連行が働き、手も出る・引く、前後・左右の摩擦連行の強靭な力が働くようになる。

この引く息で足と手を張る稽古を繰り返して行えば、強靭な手と足、そして腰がつくられることになる。
また、この手に剣をもっての剣の素振り、それに四股踏みでもできる。柔軟体操もこれでやると効果がある。

これで四方投げ、一教を掛けるといい技が生まれる。特に、二教などはこれがないといい技にならない。つまり、すべての技で、引く息で足と手を張るようにつかわなければならないということである。