私が入門した昭和36年頃は力自慢が多かった。多くの先輩方は合気道の前に空手や柔道や剣道などやってきており、相当の実力をもっておられた上に合気道に入門されていたのである。また何も武道をやらずに入門した先輩は、武道をやって入った先輩に負けまいと、毎日道場に通うだけでなく、稽古の後で自主稽古をしたり、自宅で、木刀や杖や鍛錬棒を振ったり、週末には山登りで体を鍛えていた。
そのような稽古人たちが多かった道場だったので、開祖はいつも「力を抜け」「力を抜け」と言われ、合気道は「気育・知育・徳育・常識の涵養」であると言われていた。
しかし、私の入門から2,3年すると、気育・知育・徳育・常識の涵養に体育が加わり、「気育・知育・徳育・体育・常識の涵養」となったのである。つまり、われわれのようなひ弱な稽古人が入門するようになり、合気道には力も大事であると、体育を加えられたのだと思う。だから、開祖は、力を抜いた稽古をご覧になると激しく叱られたのである。
稽古時間の合い間には、先輩に投げてもらったり、時々車座になって先輩たちの自慢話を聞いた。そこへ開祖がよくお見えになって気さくに話をされた。その中で印象深かったのは、開祖の力自慢であった。爺は力が強かったし、誰にも負けなかったと言われていた。力(魄)を否定していないどころか、力はあればあるほどいいということであった。
合気道の稽古をしていけば、誰でもそれなりに力はついてくる。この段階では、稽古の年数によって力の付き方は変わってくるようなので、年数の古いものが、年数の浅い相手を牛耳ることになる。
しかし、一生懸命に稽古をしていくと、肩や腰を痛めるようになる。ここがこれまでの稽古法の終点であり、そして新たなスタート点である。
それに気づくのは難しい。が、幸運に気づけば、肩を貫くことを覚え、多少の重さのモノを持ち、手に相当の負荷を掛けても手が動き、体をつかうことができるようになるので、更に腕を鍛えることもできるようになる。
木刀を振ったり、鍛錬棒を振っても肩に負担がかからなくなっているので、更に鍛えていくことができるようになるのである。
腕を鍛えることは重要である。技は主に手・腕で掛けるから、腕が脆弱では技は効かない。
腕を鍛えなければならないが、まず、腕を鍛えるということは、具体的にどういうことなのか、定義しなければならないだろう。私の考えである。