【第551回】 一元の神の吐く気で

これまで体を柔軟にするために、柔軟運動をし続けている。道場でも家でもやってきている。
はじめの内は、ただ力を加えて、その部位を伸ばそうとしていたが、その内に、それでは、そこは強くはなるが、十分に伸びないので、柔軟運動にはならない事に気が付いた。

そして柔軟運動も息に合わせて行わなければならない事がわかったのである。
柔軟運動は関節や筋肉・筋を伸ばす運動なので、いろいろな箇所を様々なやり方でやることができる。例えば、手首、肘、肩、首、腰、股関節、膝、足首等々の箇所である。
今回は、説明しやすく、分かりやすいように、床に腰をつけ、両足を開いて、上体を床に着ける柔軟運動で説明する。

この開脚・柔軟運動は、息に合わせてやるようになるまで、4回もやり方が変わったのである。それに可笑しいのは、毎回、1回目も2回目もこのやり方が最高のやり方であり、最終版であると思ってきたことである。

最初の開脚・柔軟運動のやり方は、息を吐きながら上体を下ろすやり方である。このやり方は大分長い間続いたが、或る時、息を吐くと体は固まってしまい、柔軟運動にならないことに気づいたのである。しかし周りを見ると、ほとんどの稽古人はこのやり方で柔軟体操をしているようだ。

そして、体を柔らかくするには、息を吸いながらやればいいと確信し、やり方を切り替えたのである。これが、二回目となる開脚・柔軟運動である。

吸いながらやると、息を吐きながらやるより柔軟になる。しばらく、このやり方が柔軟運動の最終版だと思ってやっていたところ、「イクムスビ」の息づかいで、体と技をつかわなければならないと知り、この「イクムスビ」の息づかいで開脚・柔軟運動をやるようになった。これが第三回目になる開脚・柔軟運動である。
これには自信と確信があったので、稽古仲間や知人にこのやり方を勧めた。

そしてこのやり方こそ、本当の柔軟運動最終版と思ったものであるが、これも最終版ではなくなってしまったのである。
それは、また、新たな息づかいを知ったからである。
その息づかいとは、「息を吸い込む折には、ただ引くのではなく、全部己の腹中に吸収する。そして一元の神に気を吐くのである」(「合気神髄」P.14)である。

この4回目の柔軟運動は、第三回の「イクムスビ」の息づかいと合わせてやるものである。
息を一寸吐いて上体を下げ、そこから息を大きく腹中に入れながら、上体を地に下ろしていくと、それにつれて、足の表の筋肉(大腿二頭筋、腓腹筋、アキレス腱)と気が足の付根の方から外に向かって伸ばしていく。
上体と引く息が限界に達すると、腹中に息と気が満ちる。すると、お腹の息と気は反転し一点に向かって凝縮してくる。息と気が一点に集まると、今度はその一点から気が出てくるので、その気に合わせて息を吐きながら、上体を更に下に下ろす。そうすると、息が出るのと対称的に、足の筋肉は腹に向かって内に収縮するので、踵を支点として、足の筋肉がもう一度伸びることになる。筋肉、筋、関節は今まで以上に伸びることになる。それも一方方向だけでなく、対称的に二方向に伸びるのである。

ここでの息が集まり、息と気が出る一点こそ、小宇宙である人の一元の神のポチであり、物質と精神の気を出し、小宇宙をつくり、万有万物(心体)をつくった大神様である。そして最後に吐く息は、この一元の大神様の吐く気でなければならないという事だと考えている。

この4回目になる柔軟体操こそ、最後の最後の最終版と思いたいが、前の事もあるので、自信はない。
最終というものはないのかもしれない。合気道はそれを教えてくれているようだ。