【第539回】 剣で鍛える

合気道は、勝負は厳禁であるし、攻撃法は教えられない。だから剣の振り方も教えられない。しかし、ほとんどの道場には木刀が置いてある。また、昇段試験には太刀取りなどという審査もある。考えてみると矛盾だらけで、普通なら頭がおかしくなるはずだが、ほとんどの稽古人がこれまで、頭もおかしくならず、これまで大きな問題にもならなかったのには理由があるはずである。
それは無意識の上に、その意味を何となく感じているのだと思う。
結論を言うと、このような矛盾こそ合気道なのである。一面的であることは、不自然で正しくないと思っている。

私もかっては、合気道では何故、昇段審査につかう剣を教えないのか。稽古でつかわない木刀が、何故、道場に置いてあるのか不思議だったものだ。
稽古を続けたことによって、今では、それは何も不思議でない事、当然だし、それが理想の姿であると思っている。

まず、合気道で、太刀取りができるようになるための条件は二つある。一つは、太刀取りの形を覚えること。もう一つは、太刀が十分に、理論的には、太刀で打ってくる相手より上手につかえることである。こちらの太刀の腕が、打ってくる相手より下手なら、素手で太刀を取るなど出来るわけがない。そもそも素手で相手の打ってくる太刀など、よほどの腕の差がなければ不可能である。

審査に出る「太刀取りの形を覚える」とは、合気道の技を身に着けることである。陰陽、十字、イクムスビ、阿吽の呼吸、天地の呼吸、魂のひびきなどなどを身に着け、この合気道の徒手の技に剣を持ち、合気の技をつかうのである。これが合気剣である。従って、まずはしっかりした合気の技がつかえるようになることが大事なのである。審査は、合気の技でどれだけ得物である剣がつかえるかをみているはずである。
つまり、合気剣は、剣道のように、相手より強いとか、早く打ったとか、何人負かしたというのとは、根本的に違っているのである。

もう一つの、太刀取りができるようになるための条件である「太刀で打ってくる相手より上手につかえる」も、実は前項の「形を覚える」と同じである。
合気の技が上手でなければならないということになる。

太刀取りが上達したり、合気の技が上達するためには、合気の体をつくり、その体を理合いでつかわなければならない。それを合気道では、相対の形稽古で技を練り合いながら稽古をしているわけである。
しかし、合気道の稽古は、基本的に素手である。徒手空拳で体のすべての箇所をつかい、体を鍛えている。抑え技で各関節を鍛え、投げ技で筋肉を柔軟にし、受け身で足腰を鍛えたりしている。また、イクムスビの息づかいで、肺や心臓、内臓も鍛えられる。

しかし、稽古を続けていくと、徒手の稽古や鍛練だけでは満足できなくなってくる。また、徒手だけでは、なかなか分からない事があるが、得物である剣をつかうとよくわかるし、身に着くものがあるのである。
その例をいくつか挙げてみる。

そこで木刀で十字運動をやるとわかりやすいし、やりやすいものだ。また、 まだまだあるだろうが、このぐらいにしておく。

ある程度、合気道の稽古をしてきたら、剣での鍛錬もしなければならないと考える。まずは、自分の身に着けた技、例えば、正面打ち入身投げや四方投げなどの技と動きに剣を持って動いて見ればいいだろう。上手くいけば、他の技でやっていけばいい。上手くいかなければ、その技がまだまだ未熟ということだから、更に精進すればいい。