【第521回】 頭と天の浮橋

合気道では、「人は言霊の造りなす擬体身魂」「五体は宇宙の創造した凝体身魂」である、といわれる。つまり、人の体は宇宙を擬した宇宙のミニチュア版であるということになる。だから、己の体は宇宙であると考えてもよいことになるのだろう。

さて、技をつかうとか、何かを行動する折には、「何がなくとも、天の浮橋に立たねばならない」といわれている。相対での技の形稽古の場合も、天の浮橋に立って技をつかわなければならない、ということである。

確かに、これまで書いたように、少なくとも相手に触れた瞬間に、この天の浮橋で立っていないと、技にならないものである。

天の浮橋は「丁度魂魄の正しく整った上に立った姿です。これが十字なのです。これを霊の世界と実在の世界の両方面にも一つにならなければいけない。」とか、「丁度魂魄の正しく整った上に立った姿です。これが十字なのです。」などと開祖はいわれている。

しかし、この「天の浮橋」に立つのは容易ではない。その最大の理由は、天の浮橋はこれですよと示すことも教えることもできないからである。自分で感じ取り、会得していかなければならないのである。

片手取りなどで技をかける際に、稽古相手に対し「天の浮橋」に立って手や体をつかわないと相手と結ぶことができないから、力を使うことになり苦労するのだ、といってみるが、なかなかできないものである。

天の浮橋の感覚がわかりやすいのは、「頭」ではないかと思う。頭はよく観察してみると不思議である。人の頭の重さは、体重の約10%あるといわれるから、体重50kgの人でも5kgあることになる。その重い頭を人は重いとも思わず、体にのせて楽々と運んでいる。それも、その重い頭が首や体に重力をかけるどころか、宙に浮いているように無重力なのである。

歩行や走行でも頭は浮いたまま、体幹のねじれや揺れに関係なく、あるべき方向に向かって浮いているのである。「天の浮橋」に立っている、と感じることができる。

頭がこの天の浮橋状態にあることは、誰もが感じることができるだろう。天の浮橋の感覚を知るためには、まずはこれから始めるのがよいと思う。

しかし、この頭の天の浮橋は、まだ、魄の世界、実在の世界の頭であり、前出しの真の天の浮橋に至っていない。

頭が真の「天の浮橋」に立つためには、さらに霊の世界、魂の世界の頭にしなければならないはずである。そこで、はじめて魂魄の正しく整った上に立った姿の十字、つまり「天の浮橋」になるはずなのである。

頭を霊の世界、魂の世界で働いてもらうということは、一つは、心(魂)で体を動かすことである。魂が魄の上になることである。魂の頭が、我儘な体を制したり誘導したり、競争力や破壊力などを制御するのである。

二つ目は、宇宙の魂と結ぶための魂の緒となることだ、と考える。これによって一元の大御神の宇宙楽園建設の心(魂)とつながることができるわけである。宇宙の意志を知り、宇宙の力を頂けるのは、霊の世界、魂の世界での頭のはずである。

頭が霊の世界、魂の世界で働くようになれば、実在の世界で働く頭と十字になり、真の「天の浮橋」の十字になるのだろうと考えている。