【第509回】 息のひびきと天地のひびきをつなぐ

開祖は「合気はいつもいう通り、地の呼吸と天の呼吸とを頂いてこのイキによって(略)技を生み出してゆく」といわれている。しかし、地の呼吸と天の呼吸とを頂いて、このイキによって技を生み出してゆくのは容易ではない。なぜならば、まず地の呼吸と天の呼吸を実感できないと、つかえないからである。

技はその人の力だけでなく、思想、人生観、宇宙観などなども現わすものである。腕力、体力など魄の力に頼っていれば、物質社会、競争社会にいる人と見られてしまい、相手や周辺には競争相手と見られたり、危険な相手と見られることになるだろう。だから、難しいだろうが、開祖が示されている技づかいをしなければならないことになる。

つまり、万有万物が納得し、歓迎してくれる技をつかわなければならない。また、それを目標とする稽古をしなければならないわけである。それはどのような技であるかというと、天地と己が一体となって生み出していく技である、と考える。

例えば、前出しの地の呼吸と天の呼吸を頂いて、このイキによって生み出していく技である。天の呼吸と地の呼吸を合わせて、技を生み出すのである。

このためには、先ず開祖がいわれるように、技は天の呼吸と地の呼吸によって生み出さなければならない、と信じなければならない。さらに、開祖の言葉、開祖を全面的に信じなければならない。

次に、開祖のいわれていることの中から、このテーマに関係することを見つけ、結びつけることである。例えば、開祖は「人の身の内には天地の真理が宿されている」「天地万有は呼吸をもっている」「おのが呼吸の動きは、ことごとく天地万有に連なっている」「己の心のひびきを、ことごとく天地にひびかせ、つらぬくようにしなければならない」などである。

つまり、己の呼吸は天地の呼吸に合わせることができるし、そうしなければならない、ということになる。

それでは、技を錬磨する稽古で、実際にどのように天地の呼吸を頂き、己の呼吸をどのようにつかえばよいか、を研究してみることにする。

まず、立ったところで、天地の呼吸をやってみるのである。「左足、右足を天盤地盤と踏み分け、ずっとそこの国までつき戻して、常立ちの姿に宇宙一杯に気の姿を拡げる」と開祖はいわれている。

また、開祖は別の箇所でも「霊系の祖神に神習って、ずぅーとこの地底まで気(いき)を下ろしていく。体系の祖神、これもずぅーとおろしていく」といわれている。つまり、二つの息、または二重の息を、地の底へと下ろしていくのである。

そうすると、気が昇ってきて宇宙一杯に気が広がり、常立ちの姿になる、というのである。

先ずは、息(気)を地底深く下ろすことである。息が下りることによって、今度は息(気)が昇り、満ちてくるということである。

では、実際に息をどのようにつかえばよいのか、を研究してみよう。息をただ吐くのでは己の体と息が地にぶつかって、弾かれ、地へは下りていかない。また、息をただ吸うと気も浮き上がるから、体や足底は地から浮き上がり、地の底へ下りていかないのである。

息(気)を吐いても、また吸っても、地底に向かうためには、息づかいが重要となる。腹を中心とした、腹式呼吸と胸式呼吸である。

まず、足を着地しながら息を吐くのであるが、踵から着地し、腹で地からの力を受け、その力を足底が平坦になるように、足底を開きながら息を吐いていく。すると、息が地に下りていき、体が地に密着するはずである。

次に、息を吸うわけだが、腹と地の結びを切らないようにし、足の指先(特に母指)を中心にして、胸式呼吸で息を入れていく。この際、腹式呼吸で息を入れてしまうと体と地の結びが切れて、体が不安定になったり、気が上らなくなる。

これが分かりやすいのは、四股踏みである。もちろん立っていても歩いていても、この稽古はできるはずである。また、剣の素振りもこの息づかいでやると、うまくいくはずだ。

前にも書いたが、入身投げ、天地投げ、二教裏などで、最後の収めで相手にがんばられるのは、この腹式呼吸による息のつかい方ができてないことによる。また、受けの相手が動けないように押しつけてしまうのも、この胸式呼吸ができてないからだと見る。

この呼吸がうまくいくと、天と地の呼吸に合っていることが実感できるものである。つまり、己の息のひびきと天地のひびきがつながった、という感覚である。あとは、さらなる精進をして、稽古を続けていけばよいだろう。