【第491回】 真の健康法

合気道を創られた大先生は、合気道は健康法である、といわれている。大勢の中には、健康法とは程遠いような稽古や、体を壊してしまうような稽古をしている人もいるが、大筋の方向性としては健康法として稽古していると思う。

確かに稽古すれば汗が流れ、筋肉が鍛えられ、体も柔軟になるので、気持ちもさっぱりして、心身ともに健康になる。酒もうまいし、夜もぐっすり眠れる。

これまでは、これが合気道は健康法である、くらいに考えていたのだが、大先生がいわれた健康法には、もう少し深い意味があるようである。

上記のような健康法は、別に合気道の稽古をしなくても、他の武道やスポーツでも同じだろう。体を動かすことは健康法につながるわけだから、とりわけ合気道が健康法であるということもない。大先生が、そのような平凡なことで、合気道は健康法である、などといわれたのではないはずである。

年を取ってくると、若い時のように体を動かすことは難しくなってくる。しかし、健康という意味では、以前の若い頃よりも、稽古で健康になっていくことが実感できるようだ。稽古を終えた後は気分がすっきりして、気持ちよくなるのである。

だが、この気持ちのよさは、若い頃のように体を十二分につかったことからくるものとは違っている。合気道独特の、そして、合気道にしかない理由によるものであろう、と考える。

それは、体と心が宇宙の営みの理合いで動くと、己の体と心が宇宙の営みにだんだん一致して、無理なく、自然に、自由に働くようになるからであると思う。

体と心を陰陽につかい、そして、十字につかう。宇宙が生成され、万有万物が営んでいる理に従って、心体をつかっていくのである。十字に構成されている己の体を十字につかい、各部位が十分に十字に機能するように伸ばしたり、カスを取っていく。また、息も縦横十字に陰陽でつかい、息で体を導くようにし、そして、天の気に天と地の呼吸を合わせていくのである。

うまくなってくれば、引っかかって邪魔するモノが無くなってくるので、体も心も満足し、気持ちがよいものである。時に、合気道はまったく気持ちがよいもので、健康法である、とつくづく実感することがあるが、それは仕事の関係とか、道場が長期の休みなどで、合気道の稽古ができない時である。そういう時は、たとえ散歩やジョッギングを一生懸命やっても、体や心が不満をおぼえて、精神衛生上よくないようである。合気道の稽古のような気持の良さはなかなか味わえないものである。

合気道が健康法であるのは、合気道の稽古が宇宙の営みを形にした技の錬磨を通して、宇宙と一体となる体と心をつくることにあると考える。これが真の健康法であり、従って、合気道は真の健康法ということになる。

大先生が意味する健康法は、この真の健康法ということであるはずである。