【第417回】 ウナギ掴み

合気道は技の練磨を気形で稽古していくが、技はなかなか効かないものである。技が効かなければ、気形にもならないし、技の練磨にもならないわけだから、技はなんとか効くようにしなければならない。

技が効くということは、相手を倒すことではない。受けの相手が倒れたら、技が効いた、というわけではない。技が充分に効かず、痛いからとか、受けが取りにくいので仕方なくから倒れたとか、面倒だからいやいや倒れた、ということかも知れないのである。

技が効いたということは、相手が自分から倒れたいから、あるいは、どうして倒れたのか本人にも分からないのに倒れてしまう、等というものであろう。そして、自分だけでなく、相手も納得するものであるはずだ。

相手が納得するような技を効かせるためには、肉体的な力ではなく、精神的な力を使わなければならないだろう。もちろん肉体的な力も重要で、強ければ強いほどよい。だが、肉体的な強い力だけで技を使おうとすると、肉体的に強い相手には効かないし、争いになってしまう。

肉体的な力(魄)を前面に出すのではなく、この魄を後ろに控えさせ、精神的力、簡単にいえば、気持ち(心)を前面に出し、気持ち(心)が肉体を導くようにして、技をつかっていくのである。

まず、気持ちで相手と結び、くっつけてしまい、相手と一体化する。まず気持ちで自分の体を導き、そして、一体化した相手の気持ちも導くのである。自分の気持ちは自分の体を、そして、相手の気持ちを通して相手の体も導いていくのである。つまり、相手の気持ちで、相手の体を制するように導くのである。

気持ちで相手と結んで一体化するということは、つまり、肉体的な腕力ではない、ということである。これを開祖は気でやるといわれており、「ウナギ掴み」の要領だと次のように言われている。
「(全身ヌルヌルに汗をかいていた27,8貫(約100kg)、5尺8,9寸(約180cm)ほどある素人相撲を容易に掴めなかったが)ウナギ掴み、すなわち気でもって相手を抑える、すなわち位づけの妙法を覚えたのである。こうして合気の真の鍛錬法が出来たのである」(「武産合気」)

ウナギ掴みは、技をかける側のやり方である。だが、相手に手を掴まれた場合も、同じであるはずである。少なくとも腕力ではなく、気でやらなければならない。開祖がいわれている「気」はまだ難しいから、気持ちと考えればよいと思う。

合気道の基本技の抑え技の一教から四教は、このウナギ掴みでやらなければ技は効かないと思う。特に、二教はそのようだ。それに、正面打ち一教や入身投げで相手の腕を抑える際も、力で落としたり抑えるのではなく、ウナギ掴みの気(気持ち)でやらなければならないだろう。

子供の頃に近所の友達とドジョウを取りに行ったりしたが、すくったドジョウを網から器に移すときなど、ドジョウを手で掴んだものだ。上手な子はドジョウを逃がすことなく、うまく掴んでいた。おそらくその要領なのだろう。下手な子は、ドジョウに悲鳴を上げさせた上に、逃げられてしまっていた。昔を思い出して、技に使ってみるとしよう。