【第408回】 手首を柔らかく

いつも書くことであるが、合気道は技の練磨で精進していく武道である。相対で技をかけ、受けを取り合って、技を練磨していくのである。しかし、受けはまあまあ取れるようになっても、技はなかなか思うようにかからないものだ。だから、少しでもうまく技が使えるように、稽古するわけである。

稽古は一生懸命にやらなければならないが、むやみにやっても上達はないだろう。また、長くやればよいということでもない、ということが分かってきた。要は、正しい事、つまり、道に則ったことを、長くやっていくところに、上達があるのである。

それをはっきりと気付かせて下さったのは、有川定輝先生である。ある特別講習会で、テーマを「手刀」とされた先生は、正面打ち一教を懇切丁寧に教えて下さった。その際に、手と手首使いがいかに大事であるかを示して下さったのである。

ちなみに、手とは通常、人体の肩から出ている部分であるが、手首、手首から指先、手のひら、指などをさすこともあるように、ここでは「手首から指先」をいう。また、手首とは、この手と腕をつなぐ関節のことである。

とりわけ、手(手首から指先)を使う際には、腕や上腕も一緒に動かすのは厳禁である。そのため、そう動かすことを「バラバラ事件」と茶化しておられた。「バラバラ事件」にならないためには、手首が柔軟でなければいけない、といわれていた。確かに、先生の手首は非常に柔軟だった。(写真)

手首が柔軟であるということには、手首の可動範囲が大きくて、どの方向にも動くということと、手首を柔軟に使う、という二つの意味があるだろう。

まずは、手首を柔らかく、柔軟にしなければならない。合気道の稽古は、しっかりやれば手首が柔軟になるようにできているはずである。その典型的な稽古は、二教裏(小手回し)である。はじめは多少痛いだろうが我慢して、限界を少しずつ上げていけば、相当柔軟になるはずだ。裏だけでなく、表も相手にしっかり鍛えてもらうようにするのがよい。

相対の技の練磨で足りなければ、自主稽古で、先輩や仲間に二教や三教をかけてもらうとよい。がんばるのではなく、手首を柔軟にするのだという思いでやらなければ、その意味が半減してしまうので注意されたい。

相手がいなかったり、相手の力では不足に感じられてきたら、一人で手首の柔軟運動をするとよい。手首が少しでも柔軟になるように、力一杯、呼吸に合わせ、そして、十字に鍛えることが大事である。例えば、横に息を入れて手首を引き、次に、縦に息を吐きながら落とすのである。

どれくらい手首が柔軟になったかチェックするには、相対稽古の相手の反応でもわかることだろうが、自分でもわからなければならない。有川先生が示して下さったように、手首だけを八の字や十字に動かしてみるとよい。あの頑丈な体の手首が自由自在に、柔軟に動くのである。とてもその真似はできなかったが、少しでも先生に近づくように鍛えていくしかないだろう。

次は、手首を柔軟に使うことである。「バラバラ事件」にならないように、手首だけを使わなければならないが、よほど注意しないとうまくいかないものだ。手首を動かすだけでは、柔軟な手首は使えないだろう。腰と結び、腰を使って、手首を使わなければならないのである。そして、手首を縦と横と十字、つまり円、螺旋で使うのである。

手を使う際の支点は、手首であったり、親指や小指や中指もある。支点を間違えたり、支点までも動かしてしまうと、相手の力とぶつかって、柔軟な手首の動きはできないものである。

手首は体の末端であるから、大きい力は出ないわけだが、腰腹の力が伝わる個所である。手首の重要さを再認識し、少しでも柔軟にし、そして、柔軟に使っていくようにしなければならないだろう。