【第401回】 剛柔流

合気道は、技を練磨して精進していく。つまり、宇宙の条理・法則・営みを身につけ、呼吸力をつけていくことである、と考える。技を見つけ、その技を磨き、それをさらに深め、そして新たな技を生みだし、磨き、深めるのである。そして、技を磨きながら、呼吸力をどんどんつけていくのである。

合気道の技を生みだすのは、気流柔剛、すなわち気△○□、が根本である。技を生みだすためには、体(魄)を流と柔と剛、つまり△○□で使わなければならない。技を流と柔と剛で使うためには、体を流と柔と剛の流体素、柔体素、剛体素になるように、鍛錬しなければならない。

では、どんな体が流、柔、剛であるか、ということになる。これは他人との比較ではなく、自分自身の中での差異で考えるほうがわかりやすいだろう。通常の技をつかう際の体を「柔」と考え、それを基準として、それよりも魄の力を減らし、その分、霊(魂)の力で技をかけるときの体(魄)と霊(魂)を「流」と考える。

これは、相手に技をかけるのに、相手の気持ち(魂)に働きかけるものである。柔や剛のように体をぶつけたり、力で倒すのではなく、いわゆる気(霊)で倒すことになる。相手は自ら浮いてきたり、自ら喜んで倒れてくれるのである。しかし、このためには、宇宙の法則に逆らわない体づかい、息づかいをしなければならない。

「流」の対照は「剛」である。体中に力と気持ち(気)をみなぎらせ、多少の抵抗があろうが、力一杯やるのである。腕力だけでは、この剛の稽古はできないものだ。呼吸力でないと、剛の稽古にならない。このための最適な稽古法は、諸手取り、坐技などの呼吸法、半身半立ちの四方投げ等であろう。これらを、力一杯やるのである。

「気」(霊)にも剛柔流の働きがあるといわれるから、気も剛柔流でつかえるように鍛錬しなければならない。体は体、霊(気)は霊で、ととのえていかなければならないわけである。

このためには、体を制御する霊(魂)と体(魄)を、技の練磨を通して、ととのえていかなければならない。気、流、柔、剛はイクムスビ(△)、タマツメムスビ(○)、タルムスビ(□)ともいわれている。柔のタマツメムスビの○に、流のイクムスビの△を加え、さらに剛のタルムスビの□を加え、 に練り上げていくのが技の練磨、そして体の練磨、気(霊)の練磨ということであると考える。

これによって、流の体で流の技もつかえるし、剛の体で剛の技も、自由につかえることになる。体も剛柔流の体ができていくはずである。もちろん、理想は開祖の体である。餅のようなやわらかさと、鋼鉄のような強靱さを兼ね備えている体である。

この気、流、柔、剛、または△〇□の三元がととのってくると、八力といわれる引力が生まれ、身についてくる。合気道は引力の養成である、ともいわれるのは、このことだろう。相手にぴったりとくっついて離れないようになるから、剛で多少力を入れても、相手との結びが切れなくなる。

すると、剛の稽古、さらには、流の稽古も、できるようになるのである。多少体力や腕力のある相手や、初心者、子供達、女性、高齢者など、誰とでも、そして自分のためにも、稽古ができるようになるはずである。

相手によって、剛柔流の稽古ができるようになればよい。